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決疑論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

決疑論(けつぎろん、英語: casuistry[1]) は、宗教または道徳の規範を個々の具体的な行為や良心の問題に適用するさいに利用される法のことであり、一般には道徳法則を内的なものではなく外的なものと見なし、権威や論理に基づいて個々の場合を判断する法のこと[2]である。

概要

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もともとはローマ・カトリック教会教父告解の際の指針を与えるためのもので、中世のスコラ学で重視されたが、近代に至って16世紀から17世紀にかけて個人の道徳的な判断に指針を与えるものとして発達した。一方で17世紀にパスカルによって厳しく批判されて以来、倫理学の分野において積極的に取り上げられることは少なくなったが、アルバート・ジョンセンとスティーヴン・トゥールミンの著書「The Abuse of Casuistry」(1988年)刊行以降、再評価されている。両氏によれば倫理学は原理(原理の適用=application)から出発するのではなく、事例から出発し、類似事例の比較参照を行うものでなければならず(倫理的分類学)、カズイリトリ(決疑論)に対応する語は西洋中世においては「良心のケース」(casus conscientiae)であると言い、決疑論とは元来良心の問題であったとする[3]

脚注

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  1. ^ この語はラテン語で「出来事」「場合」の意味であり、現代の英和辞書では「決疑論」の意味のほか「詭弁」「こじつけ」を意味する名詞と紹介されている。Weblio「casuistry」[1]
  2. ^ 精選版日本国語大辞典「決疑論」[2]
  3. ^ 藤本温「トマス・アクィナスと決疑論的思考について」(PDF)『中世思想研究』第47号、中世哲学会、2005年、73頁、CRID 1520009408537388288ISSN 03872971 

参考文献

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河崎良二『デフォーと十六、十七世紀イギリスの決疑論』人間文化学部研究年報8巻56頁

関連項目

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外部リンク

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