汪守珍
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汪守珍 | |
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プロフィール | |
出生: | 1875年(清光緒元年) |
死去: | 不詳[1] |
出身地: | 清安徽省広徳州 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 汪守珍 |
簡体字: | 汪守珍 |
拼音: | Wāng Shǒuzhēn |
ラテン字: | Wang Shou-chen |
和名表記: | おう しゅちん |
発音転記: | ワン ショウジェン |
汪 守珍(おう しゅちん)は、中華民国の政治家。北京政府で司法総長代理、国務院秘書長などをつとめた。字は聘耕。
事績
[編集]清の抜貢。清末には、奉天高等検察庁庁長、民政部郎中、黒竜江高等審判庁庁丞、黒竜江提法使を歴任した。中華民国が成立した後の1912年(民国元年)9月、汪守珍は北京政府の司法部次長に就任した。翌年9月、司法総長許世英から梁啓超への引継ぎの間に、短期間ながらも代理総長をつとめている。1914年(民国3年)9月、福建省に赴任し、廈門道尹となった。[2][3][4]
1925年(民国14年)12月、汪守珍は許世英内閣において国務院秘書長となる。翌年2月、許世英内閣が崩壊すると、汪も辞任した。国民政府が成立した後に、汪は中央救済準備金保管委員会委員兼常務委員となる。1939年(民国28年)1月まで、その地位にあった。[2][3][4]
注
[編集]参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 「汪守珍」華夏経緯網
中華民国(北京政府)
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