池田澄延
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛延3年11月15日(1750年12月13日) |
死没 | 明和6年9月3日(1769年10月2日) |
改名 | 幡吉(幼名)、澄延 |
戒名 | 賢徳院英山桁雄 |
墓所 | 鳥取藩主池田家墓所 |
官位 | 五位下、飛騨守、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 因幡国鹿奴藩主 |
氏族 | 池田氏 |
父母 | 父:池田仲庸、母:鈴木氏 |
兄弟 | 澄延、延俊、安之助、数計子(勧修寺経逸室) |
子 | 菊子、養子:延俊 |
池田 澄延(いけだ すみのぶ)は、因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)の第4代藩主。
略伝
[編集]寛延3年(1750年)11月15日、第3代藩主・池田仲庸の長男として鳥取館で生まれる。母が身分の低い側室だったため、はじめ京都西本願寺に預けられて育った。宝暦3年(1753年)12月に父の元に戻り、宝暦4年(1754年)2月に世子に指名された。宝暦8年(1758年)、父の死去により家督を継いだ。
宝暦10年(1760年)、大手組防火を任じられ、明和2年(1765年)12月18日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。明和3年(1766年)3月に公家接待役を務め、明和5年(1768年)に江戸城常盤橋門番を任じられた。12月11日に摂津守に遷任する。明和6年(1769年)9月3日、江戸で死去した。享年20。跡を同母弟で養子の延俊が継いだ。