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池田 彦七(いけだ ひこしち、? - 享保18年9月26日(1733年11月2日))は、江戸時代中期の農民[1]。
讃岐大川郡落合村の名主[1]。
享保16から17年(1731年から32年)の水害により凶作続きで困窮した農民の代表として享保17年に当時の高松藩主松平頼豊に租税軽減を直訴する[1][2]。要求は受け入れられたが越訴の罪で彦七は処刑された[1]。
彦七は他にも自らの家財を売り農民を助けたなどの功績で知られ、「池田義民」や「義民さん」として称えられ、東かがわ市落合にある池田神社に祀られている[2]。