コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

池在龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チ・ジェリョン

池 在龍
生誕 (1942-05-10) 1942年5月10日(82歳)
咸鏡南道
出身校 金日成総合大学
政党 朝鮮労働党
テンプレートを表示
池在龍
各種表記
チョソングル 지재룡
漢字 池在龍 
発音 チ・ジェリョン
日本語読み: ち・ざいりゅう
英語表記: Ji Jaeryong
テンプレートを表示

池 在龍チ・ジェリョン 지재룡、1942年5月10日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国政治家。2010年より2021年まで駐中華人民共和国大使

経歴

[編集]

金日成大学の外国語文学科を卒業。1972年12月、社会主義労働青年連盟(現金日成・金正日主義青年同盟)委員として選出された。1974年からは副委員長、1976年6月から1981年1月まで社会主義青少年連盟中央委員会委員長を務めた。1977年12月、彼は最高人民会議常設会議に選出された。1979年7月以来、彼は最高人民会議の代議員を務めてきた。

1982年10月、駐チェコスロバキア大使を務めた。1986年9月、彼は駐ユーゴスラビア大使に転任。1993年から共産圏国家との「党対党」外交を担当する労働党国際部副部長を務めた。張成沢に近く、2004年に張成沢が「分派行為」を理由に職務停止処罰を受けた際、一緒に地方に左遷された。だが、2006年に朝鮮労働党国際部副部長に返り咲いた。2002年4月、金日成勲章を受賞した。2010年9月の第3回朝鮮労働党代表者会では、朝鮮労働党中央委員会の委員候補に選出された。2010年10月、駐中国大使として北京に赴任、2013年12月の張成沢の粛清の際、張の引きで大使になった故に連座は免れないと思われていたが、2014年3月の第13期最高人民会議代議員選挙で代議員に選出された。

2020年1月18日、北朝鮮の各国大使が一斉に本国へ帰国。池在龍も北京から空路で北朝鮮へ戻った[1]

2021年2月、駐中国大使の任を解かれたものの、コロナ禍での国境閉鎖のために、本国に帰国できずにいる。 

脚注

[編集]
  1. ^ 北朝鮮の各国大使ら一斉に平壌へ 今後の外交方針協議か”. FNN (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。

出典

[編集]
公職
先代
崔秉官
朝鮮民主主義人民共和国の旗 在中国朝鮮民主主義人民共和国大使
2010年~2021年
次代
李龍男
先代
金光燮
朝鮮民主主義人民共和国の旗 在チェコスロバキア朝鮮民主主義人民共和国大使
1982年~1986年
次代