池内義資
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池内 義資(いけうち よしすけ、1900年9月9日[1][2] - 1979年10月18日[3])は、日本の法制史学者、教員。
経歴
[編集]愛媛県生まれ。広島高等師範学校で新見吉治に学び[1]、1923年卒業[4]。高知師範学校で教員を務めた後、1927年京都帝国大学文学部史学科に入学[5]し、卒業論文「武士発生史の研究」[6]をまとめ、1931年3月に卒業[7]。京都府立第一高等女学校[8]、兵庫県立第二神戸中学校[9]、大分県立宇佐中学校[10][11]等の教員を勤め、愛媛県立松山北高等学校校長等[2]を歴任する[1]。その傍ら、中世法制史研究を行い、佐藤進一と共に「中世法制史料集」の編纂を行う。また、特に御成敗式目の研究を専門として、1971年に「式目傅寫本の系譜に関する研究」により京都大学から文学博士の学位を授与される[12]。
脚注
[編集]- ^ a b c 加茂紀夫「[人間登場]73歳で文学博士になった 池内義資さん」『読売新聞』1971年5月28日、p.4.
- ^ a b 日本歴史学会 1999
- ^ 署名無し 1980
- ^ 『廣島高等師範学校・第二臨時教員養成所一覧 自大正12年至大正13年』廣島高等師範学校、1923年、411頁。NDLJP:985523/212。
- ^ 『京都帝国大学一覧 自昭和2年至昭和3年』京都帝国大学、1928年、390頁。NDLJP:1447033/203。
- ^ 署名なし「彙報 昭和5年卒業論文題目」『史林』第16巻第3号、史学研究会、1931年、522頁、NAID 120006815396。
- ^ 『京都帝国大学一覧 昭和6年』京都帝国大学、1932年、459頁。NDLJP:1447145/237。
- ^ 中等教科書協会 編『中等教育諸学校職員録 昭和6年5月現在 第28版』中等教科書協会、1931年、235頁。NDLJP:1448131/204。
- ^ 中等教科書協会 編『中等教育諸学校職員録 昭和7年5月現在 第29版』中等教科書協会、1932年、381頁。NDLJP:1448085/269。
- ^ 中等教科書協会 編『中等教育諸学校職員録 昭和9年5月現在 第31版』中等教科書協会、1934年、1018頁。NDLJP:1448112/569。
- ^ 中等教科書協会 編『中等教育諸学校職員録 昭和12年5月現在 第34版』中等教科書協会、1937年、1175頁。NDLJP:1446114/647。
- ^ “CiNii Dissertations - 日本の博士論文をさがす”. 国立情報学研究所. 2021年3月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 加茂紀夫「[人間登場]73歳で文学博士になった 池内義資さん」『読売新聞』1971年5月28日、p.4.
- 署名無し「池内義資氏の訃」『日本歴史』第382号、吉川弘文館、1980年、109頁、ISSN 0386-9164。
- 日本歴史学会 編『日本史研究者辞典』吉川弘文館、1999年、22頁。NCID BA41440802。
外部リンク
[編集]- 池内義資 - CiNii論文
- 池内義資 - CiNii論文
- 池内義資 - Webcat Plus
- 池内義資 - Webcat Plus