池上二男
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池上 二男 いけがみ つぐお | |
---|---|
生誕 |
1905年??月??日 熊本県 |
死没 | ????年??月??日 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1924年 - 1945年 |
最終階級 | 海軍大佐 |
出身校 | 海軍大学校 |
池上 二男(いけがみ つぐお、1905年 - 没年月日不詳)は、日本の海軍軍人[1]。最終階級は海軍大佐[1]。熊本県出身。
経歴
[編集]※出典[1]
大正9年、熊本県立玉名中学校卒業、海軍兵学校入学(51期)。海兵卒業後、34期生として海軍大学校を卒業した。同級生には高松宮がいた。その後、昭和12年に海軍少佐で早くも連合艦隊参謀に任ぜられる。その後、支那方面艦隊参謀、海軍航空本部部員、軍務局局員などを経て、昭和19年に海軍大佐に進級。また、海軍T事件では大森仙太郎少将、直井俊夫大佐と共に調査員を務めた。その後、海軍航空本部総務部部員、大本営海軍参謀、軍令部部員、海軍技術会議議員などを経て、昭和20年6月に海軍航空本部第一課長に就任。そのまま、終戦を迎え、退役した。
年譜
[編集]- 大正9年(1920年)3月 熊本県立玉名中学校卒業。
- 大正9年(1920年)海軍兵学校入学(51期)
- 大正12年(1923年)海軍兵学校卒業(席次は41/255)
- 大正13年(1924年)海軍少尉
- 大正15年(1926年)海軍中尉
- 昭和3年(1928年)海軍大尉
- 昭和7年(1932年)霞ヶ浦航空隊教官
- 昭和9年(1934年)11月 海軍大学校甲種学生(34期)
- 昭和10年(1935年)海軍少佐
- 昭和11年(1936年)海軍大学校卒業
- 昭和12年(1937年)連合艦隊参謀兼第一艦隊参謀(兼連合艦隊副官兼第一艦隊副官)
- 昭和13年(1938年)海軍航空本部出仕・海軍航空本部総務部部員兼海軍省軍務局局員
- 昭和14年(1939年)3月(特命検閲使附)
- 昭和15年(1940年)海軍中佐・第23航空戦隊参謀
- 昭和16年(1941年)軍令部出仕(第11連合航空隊参謀兼海軍技術会議議員)
- 昭和18年(1943年)海軍航空本部出仕(海軍航空本部部員兼技術会議議員兼運輸本部部員)
- 昭和18年(1943年)兼務(軍令部部員兼大本営海軍参謀)
- 昭和19年(1944年)5月 兼務(大本営海軍戦力補給部部員)
- 昭和19年(1944年)海軍大佐
- 昭和20年(1945年)海軍航空本部第一課長
- 昭和20年(1945年)退役。