コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

池上二男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池上 二男
いけがみ つぐお
生誕 1905年????
熊本県
死没 ????????
所属組織 大日本帝国海軍
軍歴 1924年 - 1945年
最終階級 海軍大佐
出身校 海軍大学校
テンプレートを表示

池上 二男(いけがみ つぐお、1905年 - 没年月日不詳)は、日本の海軍軍人[1]。最終階級は海軍大佐[1]。熊本県出身。

経歴

[編集]

※出典[1]

大正9年、熊本県立玉名中学校卒業、海軍兵学校入学(51期)。海兵卒業後、34期生として海軍大学校を卒業した。同級生には高松宮がいた。その後、昭和12年に海軍少佐で早くも連合艦隊参謀に任ぜられる。その後、支那方面艦隊参謀、海軍航空本部部員、軍務局局員などを経て、昭和19年に海軍大佐に進級。また、海軍T事件では大森仙太郎少将、直井俊夫大佐と共に調査員を務めた。その後、海軍航空本部総務部部員、大本営海軍参謀、軍令部部員、海軍技術会議議員などを経て、昭和20年6月に海軍航空本部第一課長に就任。そのまま、終戦を迎え、退役した。

年譜

[編集]
  • 大正9年(1920年)3月 熊本県立玉名中学校卒業。
  • 大正9年(1920年)海軍兵学校入学(51期)
  • 大正12年(1923年)海軍兵学校卒業(席次は41/255)
  • 大正13年(1924年)海軍少尉
  • 大正15年(1926年)海軍中尉
  • 昭和3年(1928年)海軍大尉
  • 昭和7年(1932年)霞ヶ浦航空隊教官
  • 昭和9年(1934年)11月 海軍大学校甲種学生(34期)
  • 昭和10年(1935年)海軍少佐
  • 昭和11年(1936年)海軍大学校卒業
  • 昭和12年(1937年)連合艦隊参謀兼第一艦隊参謀(兼連合艦隊副官兼第一艦隊副官)
  • 昭和13年(1938年)海軍航空本部出仕・海軍航空本部総務部部員兼海軍省軍務局局員
  • 昭和14年(1939年)3月(特命検閲使附)
  • 昭和15年(1940年)海軍中佐・第23航空戦隊参謀
  • 昭和16年(1941年)軍令部出仕(第11連合航空隊参謀兼海軍技術会議議員)
  • 昭和18年(1943年)海軍航空本部出仕(海軍航空本部部員兼技術会議議員兼運輸本部部員)
  • 昭和18年(1943年)兼務(軍令部部員兼大本営海軍参謀)
  • 昭和19年(1944年)5月 兼務(大本営海軍戦力補給部部員)
  • 昭和19年(1944年)海軍大佐
  • 昭和20年(1945年)海軍航空本部第一課長
  • 昭和20年(1945年)退役。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 海軍辞令公報