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江騰蛟

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江騰蛟
江腾蛟
生誕 1919年
中華民国の旗 中華民国
死没 2009年5月8日
中華人民共和国の旗 中華人民共和国北京市朝陽医院
所属組織 中国人民解放軍
最終階級 少将
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江騰蛟
各種表記
繁体字 江騰蛟
簡体字 江腾蛟
拼音 Jiāng Téngjiāo
和名表記: こう とうこう
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江 騰蛟(こう とうこう、1919年 - 2009年5月8日)は、中華人民共和国の軍人、革命家。湖北省紅安県出身。元南京軍区空軍政治委員。

経歴

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1919年湖北省紅安県で生まれる。

1930年中国共産主義青年団に加入。同年、中国工農紅軍に参加した[1]土地革命戦争の時、黄安県区児童団大隊長、鄂豫皖蘇区附南県児童局書記を担当した[1]日中戦争の時、新四軍第5支隊15連隊指導員、新四軍第2師団5旅13団政治部主任を務めた[1]国共内戦の時、前後して東北民主連合軍第24旅政治部主任、遼北軍区第2軍分区政治部主任、東北野戦軍第115師政治部主任を務めた[1]1949年に第四野戦軍39軍115師政部主任を務めた[1]

1952年、第55軍215師政委に就任。1955年、36歳の江騰蛟は少将を授与された。1967年南京軍区空軍政治委員に任命。文化大革命の時、江騰蛟は林彪・江青反革命集団の一員であった。1971年に免職された。1981年に「林彪・江青反革命集団」に関与した罪で懲役18年の判決を受け、政治権利が5年間剥奪された[2][1]。その後、病気により釈放された[1]山西省太原市に居住した[1]

2009年5月8日、肺の病気のため北京市朝陽医院で90歳で亡くなった[1]

家族

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江騰蛟の妻は李燕平といい、子供があった。

脚注

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関連項目 

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