江橋厚
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江橋厚 えばし あつし | |
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生年月日 | 1854年 |
出生地 |
日本 常陸国茨城郡 (現・茨城県水戸市) |
没年月日 | 1931年 |
前職 | 弁護士 |
選挙区 | 長野県第3選挙区 |
当選回数 | 1回 |
江橋 厚(えばし あつし、嘉永7年2月[1](1854年) - 昭和6年(1931年)[注 1])は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員。
来歴
[編集]常陸国茨城郡水戸下市(現茨城県水戸市)で生まれる[2]。明治5年(1872年)水戸城放火事件の嫌疑を受けて投獄され、明治9年(1876年)1月に嫌疑が晴れて釈放された[2]。
明治11年(1878年)頃、水戸から松本に来住し、弁護士を開業。奨匡社の自由民権運動に参加し、同15年(1882年)同志と信陽立憲改進党を結成、同23年(1890年)の第1回衆議院議員総選挙に長野県3区から初当選し民党に属すが、第1回帝国議会での予算議決が紛糾すると、板垣退助に同道して議員辞職した。同24年(1891年)には中山道鉄道期成同盟会で小里頼永とともに運動を展開し、自由党南信支部設置の際に座長に推挙される。同29年(1896年)後藤象二郎らと自由党の分派行動を図ったとして非難を受けると、先んじて脱党した。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』101頁では昭和2年2月7日。
出典
[編集]出典
[編集]- 篠田正作編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。
- 『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 別篇』1982年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。