江東区立東川小学校
表示
注意:学校ホームページの内容を丸写しで記載するのは、著作権侵害となる恐れがあります。編集時は十分注意してください。 →「編集注意点」も参照 |
江東区立東川小学校 | |
---|---|
北緯35度41分18秒 東経139度48分45秒 / 北緯35.68833度 東経139.81250度 | |
過去の名称 |
第六学中区八番小学深川学校 第六中学区第七番公立小学東川学校 東川尋常小学校 東川国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 江東区 |
設立年月日 | 1873年10月3日 |
創立記念日 | 10月3日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B113210800123 |
所在地 | 〒135-0002 |
東京都江東区住吉1丁目12-2 | |
外部リンク | 東川小学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
江東区立東川小学校(こうとうくりつ とうせんしょうがっこう)は、江東区住吉に所在する区立小学校[1]。全校生徒数約350名(2022年度)。
歴史
[編集]1873年に開校(開校当時から今の場所まで3度移設されている)。
元は附属幼稚園もあった(東川幼稚園)。
2023年に開校150年を迎えた。
また一度校名を深川小学校の設立により名前を譲ったことがある
校長
[編集]安田 照雄
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)1月 - 深川区本村町(猿江二丁目九番地)広済寺の堂宇を借り、幼学院と名づけ、児童を教育。
- 1874年(明治7年)
- 5月 - 第六学中区八番小学深川学校として認可され、東町5番地(猿江端付近)に移転。
- 9月 - 第六中学区第七番公立小学校深川学校として開校。
- 1875年(明治8年)
- 1月 - 深川小学校の設立にあたり、校名をゆずり、第六中学区第七番公立小学東川学校と改称し、猿江町16番地に移転。
- 3月 - 村岡勲、初代校長に就任。
- 1883年(明治16年)9月 - 深川上大島1丁目に移転。
- 1885年(明治18年)
- 2月 - 加藤誠馬、第二代校長に就任。
- 5月 - 山本芳太郎、第三代校長に就任。
- 1886年(明治19年)4月 - 小学校令により東川尋常小学校と改称。
- 1890年(明治23年)10月 - 山﨑彌太郎、第四代校長に就任。
- 1893年(明治26年)12月 - 東町六番地に移転。
- 1897年(明治30年)10月 - 校舎を新築。
- 1905年(明治38年)2月 - 加藤木春次郎、第四代校長に就任。
- 1908年(明治41年)10月 - 現在地に新校舎ができ、同月3日に移転し、この日を開校記念日と定めた。
- 1916年(大正5年)8月 - 今省三、第六代校長に就任。
- 1922年(大正11年) - 屋内体操場と教室を増築。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 正午頃に発生した関東大震災により、全校舎が焼失した。
- 1924年(大正13年)5月 - 焼け跡に校舎ができる。
- 1927年(昭和2年)
- 3月 - 佐々木泰次郎、第7代校長に就任。
- 6月 - 鉄筋コンクリート校舎ができる。
- 1930年(昭和5年)9月 - 波々伯部金次郎、第八代校長に就任。
- 1931年(昭和6年)7月 - 三上策郎、第九代校長に就任。
- 1935年(昭和10年)2月 - 校旗・校歌制定。
- 1938年(昭和13年)8月 - プール完工。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、東川国民学校と改称。
- 1943年(昭和18年)5月 - 真喜屋實重、第十代校長に就任。
- 1944年(昭和19年)8月 - 新潟県へ学童集団疎開。
- 1945年(昭和20年)3月 - 東京大空襲で校舎の大部分が焼失。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、東川小学校と改称。給食始まる。
- 1948年(昭和23年)9月 - 小林亮、第十一代校長に就任。
- 1950年(昭和25年)3月 - 校舎復興。
- 1953年(昭和28年)11月 - 文部省実験指定協力校研究発表(算数)。
- 1955年(昭和30年)
- 2月 - 文部省・東京都指定研究発表(算数)。
- 10月 - 鈴木祐次、第十二代校長に就任。
- 1958年(昭和33年)4月 - 渡辺彦平、第十三代校長に就任。
- 1961年(昭和36年)12月 - 都・区教育委員会研究協力校研究発表会(道徳)。
- 1962年(昭和37年)5月 - 特殊学級(なかよし学級)開設。
- 1965年(昭和40年)4月 - 門田正秀、第十四代校長に就任。
- 1967年(昭和42年)11月 - 江東区教育委員会研究協力校研究発表会(体育)。
- 1969年(昭和44年)4月 - 朝倉徹、第十五代校長に就任。
- 1970年(昭和45年)4月 - 江東区立東川幼稚園併設。
- 1972年(昭和47年)2月 - 江東区教育委員会研究協力校研究発表会(思考力を高める学習活動)。
- 1974年(昭和49年)12月 - 開校百周年記念・新校舎・新園舎落成記念式典挙行。新校旗作成。
- 1976年(昭和51年)
- 4月 - 大崎正二、第十六代校長に就任。
- 8月 - 屋上プール完成。
- 1977年(昭和52年)11月 - 江東区教育委員会研究協力校研究発表会(一人一人の能力に応じる指導)。
- 1979年(昭和54年)4月 - 長峰信男、第十七代校長に就任。
- 1982年(昭和57年)3月 - 江東区生活指導推進校誌上発表。
- 1983年(昭和58年)
- 4月 - 石田美佐雄、第十八代校長に就任。
- 10月 - 江東区教育委員会研究協力校研究発表(道徳的実践力を伸ばす指導)。
- 1986年(昭和61年)10月 - 校歌碑除幕式挙行。
- 1987年(昭和62年)4月 - 山根博、第十九代校長に就任。
- 1990年(平成2年)4月 - 粟野繁雄、第二十代校長に就任。
- 1991年(平成3年)12月 - 江東区教育委員会研究協力校研究発表(国語)。
- 1993年(平成5年)9月 - 図書室、コンピューター室設置。
- 1994年(平成6年)
- 3月 - 江東区国際理解教育推進校誌上発表。戦後五十年目の卒業式。
- 4月 - 廣瀬喬、第二十一代校長に就任。
- 1996年(平成8年) - 体育館改修工事。
- 1997年(平成9年)4月 - 松原英機、第二十二代校長に就任。
- 1998年(平成10年)
- 2月 - 江東区教育委員会心身障害教育協力校誌上発表。
- 3月 - 江東区立東川幼稚園廃止。
- 2000年(平成12年)
- 時期不明 - 校舎改修工事。
- 11月 - 江東区教育委員会研究協力校研究発表 (総合的な学習の時間)。
- 2002年(平成14年)4月 - 藤沢千代勝、第二十三代校長に就任。
- 2003年(平成15年)1月 - 東京都教育委員会人権尊重教育推進校発表(生活科・総合的な学習の時間)。
- 2006年(平成18年)
- 3月 - ビオトープ完成。
- 4月 - 通級指導学級(ひまわり教室)設置。
- 2007年(平成19年)4月 - 実川栄一、第二十四代校長就任。
- 2008年(平成20年)4月 - 東京都スポーツ推進校指定。
- 2010年(平成22年)11月 - 江東区研究協力校研究発表(体育)東京都健康づくり優良校表彰。
- 2011年(平成23年)
- 4月 - 大野幾子、第二十五代校長に就任。同月、きっずクラブこうとう開設。校舎改修工事。
- 12月 - 太陽光発電設置。
- 2012年(平成24年)4月 - 江東区教育課題研究校(特別支援教育)。
- 2014年(平成26年)3月 - 東京都子供の体力向上推進優秀校として表彰。
- 2015年(平成27年)11月 - 江東区教育委員会研究協力校発表会(算数)。
- 2016年(平成28年)4月 - 鈴木慈、第二十六代校長に就任。
- 2018年(平成30年)11月 - 江東区教育委員会研究協力校発表会(特別の教科・道徳)。
- 2019年(平成31年)4月 - 石川加子、第二十七代校長に就任。
- 2021年(令和3年)4月 - 安田照雄、第二十八代校長に就任。
- 2023年(令和5年)10月3日 - 開校150周年を迎え、マスコットキャラクターに東仙人と名付けられた。
通学区域
[編集]- 出典[2]
- 扇橋2丁目(10番3号)
- 猿江1丁目(全域)
- 猿江2丁目(1番~11番)
- 住吉1丁目(全域)
- 住吉2丁目(1番~7番、10番~14番)
進学先中学校
[編集]- 出典[3]