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江戸鶴子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

江戸 鶴子(えど つるこ、生年不詳 - 元和7年7月29日1621年9月15日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。

結城秀康の正室。鶴姫[1]蓮乗院とも [2]

略歴

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常陸国水戸城城主・江戸重通の次女として誕生[1]。のち、祖父・結城晴朝の養女となり[1]天正18年(1590年)、秀康に嫁ぐ[3]

秀康とは不仲で子供にも恵まれなかった。秀康の死後、その母・長勝院の取り持ちで烏丸光広と再婚し、鶴松という子を得た。鶴松は三代松平忠昌のとき越前に来て千石の知行を与えられたが、まもなく死去したという[4]

元和7年(1621年)7月29日、で死去した[1]。広布山本満寺に葬られた[1]法号は蓮乗院殿心誉霊光妙徹大姉[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 大野市史編さん委員会 1985, p. 255.
  2. ^ 京都国立博物館 2006, p. 280.
  3. ^ 結城秀康 略年譜”. 越前入封四〇〇年記念 結城秀康. 福井市立郷土歴史博物館. 2023年8月18日閲覧。
  4. ^ 結城市 1977, p. 763.

参考文献

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  • 『結城市史 - 第4巻』(結城市、1977年、763p)
  • 大野市史編さん委員会 編『大野市史』 第6巻《史料総括編》、大野市、1985年3月31日。NDLJP:9539692 (要登録)
  • 『京焼: みやこの意匠と技 : 特別展覧会』(京都国立博物館 、2006年、208p)