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江南市立北部中学校

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江南市立北部中学校
地図北緯35度21分36.2秒 東経136度52分47.8秒 / 北緯35.360056度 東経136.879944度 / 35.360056; 136.879944座標: 北緯35度21分36.2秒 東経136度52分47.8秒 / 北緯35.360056度 東経136.879944度 / 35.360056; 136.879944
過去の名称 草井村立草井中学校
江南市立草井中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 江南市
設立年月日 1964年
共学・別学 男女共学
学校コード C123210002900 ウィキデータを編集
所在地 483-8074
愛知県江南市村久野町平松245
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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江南市立北部中学校(こうなんしりつ ほくぶちゅうがっこう)は、愛知県江南市村久野町にある公立中学校。通称「江南北中」または「北中」(ほくちゅう)。

概要

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  • 校区は、江南市立古知野北小学校校区(中般若町、般若町、勝佐町、和田町、山尻町、江森町、高屋町大松原の一部)の全域、江南市立草井小学校校区(鹿子島町、小杁町、慈光堂町、小脇町、草井町、村久野町北東部)の全域、及び江南市立門弟山小学校校区の一部(村久野町南部。門弟山校区の過半は古知野中学の校区)の児童が進学する[1]。旧草井村のうち村久野町西部(江南団地近隣)は藤里小学校及び宮田中学校の校区となる。

江南市立古知野中学校の生徒数の増加と学校規模の調整(旧古知野町は小学校4校に対し中学1校であった)のために、古知野北小学校の校区を古知野中学校区から分離し、旧来の草井中学校校区(草井小学校校区のみ)と合わせた校区再編(古知野中学は3小学校で中学1校、北部中学は2小学校で中学1校)で移転新設された中学校である。なお古知野中学校はその後も生徒数増加により、江南市立西部中学校を分離開校している。

沿革

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江南市立北部中学校は草井小学校校区(旧草井村全域)に古知野北小学校校区を加え、新設した中学校である(草井中学と古知野中学の学区調整に伴う新築移転及び改称)。開校年は1964年であるが、ここでは前身である江南市立草井中学校についても記述する。

  • 1947年(昭和22年)
  • 1948年(昭和23年)1月31日 - 草井小学校の東(隣地)に校舎(木造2階建)が完成する。
  • 1954年(昭和29年)6月1日 - 丹羽郡古知野町布袋町、及び葉栗郡宮田町・草井村が合併し、江南市が発足。同時に江南市立草井中学校に改称する。
  • 1964年(昭和39年)4月1日 - 草井小学校古知野北小学校を校区として、江南市立北部中学校が開校。同時に草井中学校を廃校。校舎未完成のため、旧・草井中学校舎を仮校舎とし、草井小学校校区の生徒は旧・草井中学校、古知野北小学校校区の生徒は古知野中学校で授業を行う。
  • 1965年(昭和40年)
    • 2月21日 - 現在地に校舎(本館・鉄筋コンクリート造3階建)が完成する。旧草井中学の木造校舎・校地は隣地の草井小学校に継承される。(木造校舎はその後取り壊し)
    • 4月1日 - 新しい校舎での授業を開始する。
  • 1974年(昭和49年) - 管理棟が完成する。
  • 1975年(昭和50年) - プールが完成する。
  • 1977年(昭和52年) - 管理棟、本館を増築する。
  • 1980年(昭和55年) - 特別教室を増築する。
  • 1984年(昭和59年) - 北舎(鉄筋コンクリート造2階建)が完成する。

交通アクセス

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  • 名鉄バス江南・病院線「村久野新開」バス停より徒歩約8分。
名鉄犬山線江南駅から81・82系統「すいとぴあ江南」行。
名鉄犬山線布袋駅から82系統「すいとぴあ江南」行。
  • 名鉄バス江南団地D線・E線「村久野小村」バス停より徒歩約12分。
名鉄犬山線江南駅から76系統 「江南団地」(ヴィアモール前(アピタ江南西店)経由)行。
名鉄犬山線江南駅から77系統 「江南厚生病院」(ヴィアモール前、江南団地経由)行。

周辺施設

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参考文献

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  • 江南市史 本文編 (江南市教育委員会・江南市史編纂委員会 2001年) P.709 - 717

関連項目

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脚注

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注釈

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外部リンク

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