コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

江ノ電百貨店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江ノ電百貨店
ODAKYU 湘南 GATE(旧江ノ電百貨店)
店舗概要
所在地 251-8580
神奈川県藤沢市南藤沢21番1号
座標 北緯35度20分15.11秒 東経139度29分15.64秒 / 北緯35.3375306度 東経139.4876778度 / 35.3375306; 139.4876778 (江ノ電百貨店)座標: 北緯35度20分15.11秒 東経139度29分15.64秒 / 北緯35.3375306度 東経139.4876778度 / 35.3375306; 139.4876778 (江ノ電百貨店)
開業日 1974年5月25日
閉業日 1985年3月1日
施設所有者 江ノ島電鉄
商業施設面積 11,313[1] m²
後身 小田急百貨店藤沢店
テンプレートを表示

江ノ電百貨店(えのでんひゃっかてん)は、かつて神奈川県藤沢市藤沢に存在した、江ノ島電鉄が経営母体の百貨店。現在のODAKYU湘南GATE(小田急百貨店藤沢店)の前身である。

概要

[編集]

1970年代初頭、藤沢駅南口の区画整理に伴い、各種の再開発計画が進められ、江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)も、南口にビルを建設し百貨店を経営することになった[1]。 そこで、江ノ島鎌倉観光を中心に小田急電鉄、小田急百貨店、小田急商事の出資により、1973年3月、株式会社江ノ電ビル(同年10月、江ノ電百貨店に商号変更)が発足し、翌年5月、江ノ電百貨店が開業した[1]

しかし、相次ぐ大型小売店進出による競争激化と、2度にわたるオイルショックの影響を受け、同店の業績は低迷した[1]。このため、1978年に小田急電鉄が中心となって、江ノ電百貨店の支援5ヶ年計画がスタートし、1979年5月には小田急百貨店の三矢隆夫社長が江ノ電百貨店社長を兼任[1]。全社員が一丸となって経営改善に取り組むことになった。 だが、累積欠損が大きな負担となっていたことから、江ノ電百貨店は特別清算手続きを行い、新会社を発足させて営業を引き継ぐことになった[1]

1984年7月6日、小田急百貨店などの出資によって株式会社藤沢小田急が設立され、社長には小田急百貨店の三矢社長が就任[1]。同社は江ノ電百貨店から建物設備、従業員等を引き継ぎ、1985年3月2日に営業を開始した[1]。特別清算会社となった江ノ電百貨店は、8月20日に清算手続が終結している[2]

沿革

[編集]
  • 1974年昭和49年)
    • 5月25日 - 株式会社江ノ電百貨店の運営により開店。大規模小売店舗名は「江ノ電ビル」、売場面積は10,872m2
    • 6月7日 - 江ノ島電鉄藤沢駅が、本百貨店の2階に移転。
  • 1979年(昭和54年)8月1日 - 売場面積が441m2増加する。
  • 1984年(昭和59年)7月6日、小田急百貨店などの出資によって株式会社藤沢小田急が設立。
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月1日 - 株式会社江ノ電百貨店臨時株主総会にて、解散決議[3]
    • 3月2日 - 株式会社藤沢小田急(現在の株式会社小田急百貨店)へ営業譲渡し、店舗は藤沢小田急百貨店(第一種大規模小売店舗名は「江ノ電ビル」のまま)となり、株式会社江ノ電百貨店は、特別清算会社となる。
    • 7月19日 - 小田急電鉄株式会社への債務39億4,000万円のうち、39億2,028万5,166円を債務免除とする協定が認可される[4]
    • 8月20日 - 株式会社江ノ電百貨店の特別清算手続が終結する[2]

所在地

[編集]
  • 神奈川県藤沢市南藤沢21-1 江ノ電第一ビル(住居表示施工(1982年(昭和57年)8月28日)前は、藤沢市藤沢420番地)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 小田急百貨店50年史 2013, p. 104.
  2. ^ a b 1985年9月4日、官報第17572号、特別清算手続終結広告、横浜地方裁判所第三民事部、昭和60年(ヒ)第60号
  3. ^ 1985年3月7日、官報第17421号
  4. ^ 1985年7月29日、官報第17540号、協定認可広告、横浜地方裁判所第三民事部、昭和60年(ヒ)第60号

参考文献

[編集]
  • 小田急百貨店 編『小田急百貨店50年史』小田急百貨店、2013年4月。 

外部リンク

[編集]