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永田羽竜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永田 羽竜
名前
カタカナ ナガタ ウリュウ
ラテン文字 NAGATA Uryu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1994-01-04) 1994年1月4日(30歳)
出身地 神奈川県川崎市
身長 178cm
選手情報
ポジション MF(DMF)/DF(CB)
ユース
日本の旗 下河原
2006-2008 日本の旗 横浜FC鶴見JY
2009-2011 日本の旗 多摩大学目黒高校
2012-2016 日本の旗 上武大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2016-2017 オーストラリアの旗 ロッチデール・ローヴァーズ 19 (1)
2018 オーストラリアの旗 ゴールドコースト・ユナイテッド 22 (2)
2018-2021 バングラデシュの旗 ダッカ・モハメダン 40 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年5月31日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

永田 羽竜(ながた うりゅう、1994年1月4日 - )は、神奈川県川崎市出身のサッカー選手。ポジションはMFもしくはDF

クラブ歴

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小学校の時にサッカーを始め、下河原NSCに所属した[1]。中学校年代では横浜FC鶴見ジュニアユースに所属し主将を務めた[2]。しかしユースに上がる事はおろか、高校受験にも失敗し、滑り止めで多摩大学目黒高等学校に進学[3]。中学サッカーでは強豪であった他方、高校サッカーでは弱小であった同校であるが、進学半年前に奥大介が監督に就任、コーチ陣も大西昌之塩川岳人という布陣になっており、一年次から全国高等学校総合体育大会に臨むメンバーの一人として抜擢された[4]。その後主将を務めた[5]。その後、同校の先輩である本吉勇貴も所属する上武大学に進学[6]。三年次の時に植木繁晴が監督に就任し指導を受けたが、関東大学サッカーリーグ戦参戦は叶わなかった[7]

植木の教え子である卜部太郎オーストラリアで代理人業をしていた伝手で渡豪[8]、卜部がかつて所属していたロッチデール・ローヴァーズFCに練習参加し、同クラブで選手となった。その後ブリスベン選抜に選出され、ブリスベン・ロアーFCと対戦した[9]

2018年にゴールドコースト・ユナイテッドFCに移籍、2得点を記録した[10]

同年にバングラデシュ・プレミアリーグ所属のダッカ・モハメダンに移籍[11]。その後主将を務めた[12]。しかし2021年に前十字靭帯断裂のため無所属となった。

参考文献

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  1. ^ 永田羽竜. “【#2】人生を変えたあの出来事”. 31 May 2022閲覧。
  2. ^ 永田羽竜. “【#3】思春期燃え尽きコース”. 31 May 2022閲覧。
  3. ^ 永田羽竜. “【#6】もう一度、本気でサッカーがしたい。”. 31 May 2022閲覧。
  4. ^ 永田羽竜. “【#8】東京ベスト400からの挑戦”. 31 May 2022閲覧。
  5. ^ 選手権予選「監督を全国へ」元日本代表MF奥大介監督率いる多摩大目黒が初Vへ3発発進:東京”. ゲキサカ (14 August 2011). 31 May 2022閲覧。
  6. ^ 永田羽竜. “【#11】進学先は動物園!?”. 31 May 2022閲覧。
  7. ^ 永田羽竜. “【#14】帰ってきたファイナルの舞台”. 31 May 2022閲覧。
  8. ^ 永田羽竜. “【#16】オーストラリアに行くきっかけ”. 31 May 2022閲覧。
  9. ^ 永田羽竜. “【#21】1番の下積み時代”. 31 May 2022閲覧。
  10. ^ NPL Round 12 Review: Brisbane City strike late to win seven-goal thriller”. Football Queensland (30 April 2018). 30 April 2018閲覧。
  11. ^ Kingsley downs 10-man BJMC”. The Daily Star (21 January 2019). 21 January 2019閲覧。
  12. ^ Rahmatganj deny MSC to reach maiden final | New Age”. www.newagebd.net. 19 November 2021閲覧。

関連項目

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外部リンク

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