永田文雄
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永田 文雄 | |
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生誕 |
1890年9月13日 日本 福岡県 |
死没 | 1962年12月7日(72歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
永田 文雄(ながた ふみお、1890年(明治23年)9月13日[1] - 1962年(昭和37年)12月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1890年(明治23年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1939年(昭和14年)8月1日、陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第139連隊長(北支那方面軍・第110師団・歩兵第108旅団)に着任し[1][2]、日中戦争に出動[1]。京漢線石門地区の守備を主務として[1]、冀西、晋察冀辺などの各作戦で戦果を挙げた[1]。1941年(昭和16年)8月に留守第2師団司令部附となり[2]、東北帝国大学に配属され[2]、1943年(昭和18年)6月に第42師団司令部附となったが[2]、東北帝国大学への配属が続いた[2]。
1945年(昭和20年)1月20日に歩兵第52旅団長(支那派遣軍・第6方面軍・第11軍・第58師団)に就任して大陸戦線に復帰し[1]、3月1日に陸軍少将に進級した[2]。終戦時は全県に位置した[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。