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永田文雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永田 文雄
生誕 1890年9月13日
日本の旗 日本 福岡県
死没 (1962-12-07) 1962年12月7日(72歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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永田 文雄(ながた ふみお、1890年明治23年)9月13日[1] - 1962年昭和37年)12月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

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1890年(明治23年)に福岡県で生まれた[1]陸軍士官学校第25期卒業[1]1939年(昭和14年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第139連隊長(北支那方面軍第110師団・歩兵第108旅団)に着任し[1][2]日中戦争に出動[1]。京漢線石門地区の守備を主務として[1]、冀西、晋察冀辺などの各作戦で戦果を挙げた[1]1941年(昭和16年)8月に留守第2師団司令部附となり[2]東北帝国大学に配属され[2]1943年(昭和18年)6月に第42師団司令部附となったが[2]、東北帝国大学への配属が続いた[2]

1945年(昭和20年)1月20日に歩兵第52旅団長(支那派遣軍第6方面軍第11軍第58師団)に就任して大陸戦線に復帰し[1]3月1日に陸軍少将に進級した[2]。終戦時は全県に位置した[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 518頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 343頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026