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永沢与助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永沢 与助
ながさわ よすけ
誕生 永澤 與助
1908年1月
日本の旗 日本 青森県北津軽郡板柳村
(現:板柳町
死没 1982年9月
職業 俳人、作詞家
言語 日本語
活動期間 昭和時代戦後
代表作青森県賛歌」「金木小唄」
主な受賞歴 「青森県賛歌」入選
板柳町文化功労者賞
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永沢 与助(ながさわ よすけ、1908年1月 - 1982年9月)は、昭和時代日本俳人作詞家

号は吟月(ぎんげつ)。青森県出身。

生涯

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1908年明治41年)1月、青森県北津軽郡板柳村(現在の板柳町)に生まれる[1]。板柳町で本業のリンゴ農家を営む傍ら、俳句を嗜んでいた。1948年昭和23年)11月に俳句雑誌『むらさき』創刊7周年記念号で一等入選となり、二世天地庵宮本公道から「吟月」の雅号を拝受する[1]

1954年(昭和29年)5月に「日景駅伝の歌」一般公募で入選したのを始め[2]1956年(昭和31年)に金木町(現在の五所川原市)が募集した創作民謡「金木小唄」で一等入選となるなど作詞で多数の入選・入賞を果たす[1]

1971年(昭和46年)、青森県の成立100周年を記念して県が公募した「青森県賛歌」で応募作が入選[1]9月23日に制定される[3]1977年(昭和52年)3月、昭和51年度板柳町文化功労者賞を受賞[4]

1982年(昭和57年)9月死去。享年75(満74歳没)[5]

参考文献

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出典

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  1. ^ a b c d 陸奥新報、1971年9月4日付9面『県賛歌の歌詞/永沢さん(板柳)が入選』。
  2. ^ 毎日新聞(青森県版地方面)1971年9月4日付18面『“県賛歌”に永沢さんの作品』。
  3. ^ 県百科大事典, p10
  4. ^ 『広報いたやなぎ』昭和52年4月号, p13「24人・4団体の功績を讃え 第1回板柳町スポーツ・文化賞」。
  5. ^ 『広報いたやなぎ』昭和57年11月号, p12「おくやみ(ご他界) 9月分」