永嶺謙光
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永嶺 謙光 | |
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生誕 | 1858年8月25日 |
死没 | 1935年2月7日 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
最終階級 | 機関少将 |
勲章 | 勲五等双光旭日章 |
永嶺 謙光(ながみね よしみつ、1858年8月25日 - 1935年2月7日)は、大日本帝国海軍の機関科士官。最終階級は機関少将。海軍機関学校校長(1903年12月31日 - 1905年11月4日、1908年8月28日 - 1910年12月1日)
来歴
[編集]- 1858(安政4)年8月25日 静岡藩藩士永嶺光正の次男として生まれる。
- 1871(明治4)年 実兄源吉と共に沼津兵学校三期生として入学
- 1894(明治27)年 軍艦高雄の機関長として日清戦争に参加
- 1899(明治32)年 海軍機関大佐、巡洋艦吾妻の検収巡航のため渡仏
- 1903(明治36)年 海軍機関学校校長
- 1909(明治42)年 舞鶴鎮守府機関長。退役の際機関少将に進級
- 1918年(大正7年)8月8日 - 退役[1]
- 1935(昭和10)年2月7日 死去
栄典
[編集]関連する人物
[編集]- 永嶺謙忠 - 謙光の孫。物理学者。
脚注
[編集]参考
[編集]- 海軍機関学校長・教頭 - ウェイバックマシン(2008年6月22日アーカイブ分)
- 主な沼津兵学校資業生
- 追憶・海軍機関学校