永宮正治
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ながみや しょうじ 永宮 正治 | |
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2009年7月6日、 J-PARC完成記念式典の懇親会にて | |
生誕 | 1944年5月24日(80歳) |
居住 |
日本 アメリカ合衆国 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 物理学 |
研究機関 |
東京大学 ローレンス・バークレー国立研究所 コロンビア大学 高エネルギー加速器研究機構 |
出身校 |
東京大学理学部卒業 大阪大学大学院 理学系研究科博士課程修了 |
主な業績 |
高エネルギー重イオン反応の研究 大強度陽子加速器施設の建設 |
主な受賞歴 |
井上学術賞(1992年) 東レ科学技術賞(2007年) 日本中性子科学会特別賞 (2009年) 茨城県功績賞(2012年) 東海村村民栄誉賞(2012年) |
プロジェクト:人物伝 |
永宮 正治(ながみや しょうじ、1944年5月24日 - )は、日本の物理学者(素粒子・原子核・宇宙線・宇宙物理)。学位は理学博士(大阪大学・1972年)。国立研究開発法人理化学研究所研究顧問、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授。
ローレンス・バークレー国立研究所主任研究員、東京大学理学部助教授、コロンビア大学教授、コロンビア大学物理学科学科長、東京大学原子核研究所教授、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構教授、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構大強度陽子加速器計画推進部部長、J-PARCセンターセンター長(初代)などを歴任した。
来歴
[編集]兵庫県神戸市御影に生まれた[1]。その後、学齢期は大阪市で育った。
1970年代に、ローレンス・バークレー国立研究所のBevalacで高エネルギー重イオン物理学草分け期の研究に従事。その後、ブルックヘブン国立研究所のAGSやRHICで実験を進め、PHENIX実験の初代スポークスマン。 クォークグルーオンプラズマ現象の解明を進めた。この間、日米協力事業を推進。1996年末に日本に戻り、 J-PARCの建設に専心。
日本物理学会会長、日本学術会議会員・同物理学委員長・第三部幹事、アジア太平洋物理学会会長、等を務める。
略歴
[編集]- 1963年 - 大阪府立住吉高等学校卒業
- 1967年 - 東京大学理学部物理学科卒業
- 1972年 - 大阪大学大学院博士課程修了
- 1972年 - 東京大学理学部助手
- 1977年 - 米国ローレンス・バークレー国立研究所研究員
- 1982年 - 東京大学理学部助教授
- 1986年 - 米国コロンビア大学教授
- 1997年 - 東京大学原子核研究所教授
- 1997年 - 高エネルギー加速器研究機構 教授
- 2006年 - J-PARCセンター長(2012年まで)、東レ科学技術賞受賞
- 2013年 - 理化学研究所研究顧問 (2018年まで)
脚注
[編集]- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.422
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