永井貞三
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永井 貞三(ながい ていぞう[1]、1901年3月[2] - 1944年10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は少将[3]。広島県出身。
経歴
[編集]広島県に生まれる。1920年旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)を卒業[4]。1923年7月14日、海軍兵学校51期を卒業し、1924年12月1日海軍少尉任官[1]。1924年少尉、1926年中尉、1929年大尉となり海軍砲術学校に入学。その後五十鈴、木曽、綾波、鳥羽、鈴谷、神威などに乗艦[5]。太平洋戦争勃発後の1943年、中佐として軽巡洋艦鬼怒副長、1944年、重巡洋艦摩耶副長に就任[6]。1944年5月~6月マリアナ沖海戦に参加。10月15日、大佐に昇進。10月23日レイテ沖海戦に参戦する。米潜水艦デイスの魚雷攻撃を受け摩耶は沈没。永井は駆逐艦秋霜に救助され、戦艦武蔵に移乗。しかし翌24日、武蔵は多数の米軍機による雷爆撃を受け、艦橋への命中弾で作戦室にいた永井は戦死した[7]。戦死により一階級特進し、海軍少将に昇進[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『現役海軍士官名簿 昭和12年1月1日調』海軍省、1937年。
- 太平洋戦争研究会編著『日本海軍将官総覧』PHP研究所、2010年