氷川神社 (東久留米市南沢)
氷川神社 | |
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所在地 | 東京都東久留米市南沢3-5-8[1] |
位置 | 北緯35度45分12.72秒 東経139度31分38.69秒 / 北緯35.7535333度 東経139.5274139度座標: 北緯35度45分12.72秒 東経139度31分38.69秒 / 北緯35.7535333度 東経139.5274139度 |
主祭神 |
素戔鳴命(すさのをのみこと) |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 不明 |
別名 |
南沢氷川神社 太神宮氷川稲荷合社 南沢村氷川大明神 |
例祭 |
4月8日(春季大祭) 10月15日(秋季大祭) |
地図 |
氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都東久留米市南沢[3]にある神社。
東久留米総鎮守。旧社格は村社。南沢氷川神社とも称される。
歴史
[編集]創建年は不明[4][5]。氷川神社の神職22世・栗原済之進が1900年(明治33年)に書き残したところによると[6]、古くより黒目川支流・落合川上流の水源地(現在の南沢湧水群)にあり、湧水の守護神として奉られていたものが、周辺が開発され、出雲斐伊神社の故事に倣って創建されたと伝えられている[2][6][5]。
現存する1654年(承応3年)2月15日の棟札から、南沢村、田無村、入間村、下新井村の総氏子中によって再建がなされたことが分かる[2][7][8]。その際に尽力したのは、徳川家の重臣・久世大和守、神谷与七郎、峰屋半之焏らの有力者だった[2][7][8]。
明治初年、村社に昇格し神饌幣帛料指定神社となって以来、神社の大祭には供進使の参向があり、湯の花神楽や獅子舞行事、疫病祓の夏祭など多彩な神賑祭礼が行われてきた[9]。
氷川神社は、長い年月の間に数回、再建されたとみられている。1937年(昭和12年)には、社殿の老朽化に伴って改築計画が立てられたものの、第二次世界大戦の開戦によって一時中止となり、終戦後の1950年(昭和25年)4月、氏子などの尽力によって竣工した[9]。
1969年(昭和44年)3月18日、火災のため社殿を焼失し、再度氏子などから協賛を得て、1971年(昭和46年4月)に新社殿が完成した[9]。
1984年(昭和59年)1月に社務所新築などの境内整備を進め、現在に至る[9]。
境内
[編集]境内末社
[編集]文化財
[編集]絵馬
[編集]奉納されている絵馬は多い。武蔵野の貧しい農村として成立した東久留米においては、一流絵師による作品はないものの、熱心に神仏に祈念と感謝を捧げたことがうかがい知れる[10]。「加藤清正虎退治絵馬」は、東久留米市内で奉納年が明らかなものの中では最古の絵馬とされ[9]、市の有形文化財に指定されている[11]。
名称 | 大きさ (単位:センチメートル) | 奉納年 | 願主 |
大蛇退治の図 | 縦31.5、横44.5[12] | ||
大蛇退治の図 | 縦38、横53[12] | 1898年(明治31年)9月[12] | |
松に鷹図 | 縦30、横75.5[12] | 1872年(明治5年)5月[12] | 吉岡昌邦[12] |
松に白鳩図 | 縦23、横37[12] | ||
出初式の図 | 縦53、横71[12] | 1881年(明治14年)7月[13] | 若者中[13] |
加藤清正虎退治の図 | 縦51、横69.5[13] | 1821年(文政4年)8月[13] | |
祭りばやし図 | 縦52、横80.5[13] | 1921年(大正10年)8月[13] | |
武将図 | 縦88、横168.5[13] | 不明、絵師「□川山岡」と記載[13] | |
河岸図 | 縦47、横57[13] | 1841年(天保12年)7月[13] | |
男性一人拝み図 | 縦54、横66.5[13] | ||
女性一人拝み図 | 縦25、横32[14] | 1853年(嘉永6年)7月[14] |
※記載のない欄は不詳
上棟札
[編集]1654年(承応3年)2月の社殿再建の棟札で、『新編武蔵風土記稿』に記載がある[9][15]。
東久留米市の有形文化財に指定されている[11]。
南沢獅子舞
[編集]江戸時代初期から旧南沢村に伝わる郷土芸能で、かつては村の長男のみに伝えられてきた[16]。伝承によると延宝年間(1673-1681)に伊勢から伝わったと言われ、舞う際の歌にも「此の獅子は伊勢で生れて江戸そだち」と歌われている[17]。五穀豊穣・悪疫退散を祈願し、豊作だった年に行われていた[18]。戦時中に一度途切れたが戦後に復活し[18]、現在では4年に1度行われている[18]。
1977年(昭和52年)4月1日に「東久留米市指定無形民俗文化財 第1号」に指定された[18][19]。 祭礼日を毎年9月15日としていたが、のちに10月15日になり、現在では不定期[16]。
獅子頭は「竜頭」で、笛や太鼓にあわせ、女獅子をめぐって二頭の男獅子が勇壮に踊り狂う場面がある[9]。ひとりが一つの獅子頭をつけ、腹に太鼓を付けた3匹の獅子が出てきて踊る、「一人立三匹獅子舞」が中心[16]。 獅子舞のほか、山の神、太刀使、世流布、神楽、万歳(まんざい)などが加わる[9]。
- 神社で歌う獅子歌
- 此の獅子は伊勢で生れて江戸そだち
- 腰に刺したる伊勢のお祓い
- 千早振る神の囲垣に松を植え
- 松諸ともに氏子繁盛[9]
祭礼
[編集]兼務社
[編集]東久留米市内・近隣にある11の神社を、氷川神社の宮司が兼任している。そのため、通常は無人となっている[20]。
- 八幡神社(東久留米市八幡町2-8-17)[20]
- 子ノ神社(東久留米市小山1-14-25)[20]
- 氷川神社(東久留米市下里2-9-32)[20]
- 浅間神社(東久留米市浅間町3-7-1)[20]
- 天神社(東久留米市柳窪4-15-16)[20]
- 神明社(東久留米市中央町2-4-26)[20]
- 氷川神社(東久留米市氷川台1-12-2)[20]
- 神明社(東久留米市南町2-3-17)[20]
- 氷川神社(東久留米市神宝町1-17-7)[20]
- 厳島神社(東久留米市金山町1-6-2)[20]
- 浅間神社(清瀬市竹丘2-28-8)[20]
資料写真
[編集]-
狛犬
-
鳥居と参道
-
本殿正面
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 東京都神社庁.
- ^ a b c d “南沢氷川神社:御由緒”. 南沢氷川神社. 2016年11月7日閲覧。
- ^ 多摩郡南沢村、神奈川県北多摩郡久留米村内南沢村
- ^ 文化財資料集1 1973, p. 49.
- ^ a b 江幡 1979, p. 127.
- ^ a b 文化財資料集1 1973, p. 47.
- ^ a b 文化財資料集1 1973, p. 497.
- ^ a b 江幡 1979, p. 128.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『南沢氷川神社参詣栞』
- ^ 文化財資料集11 1988, pp. 39–40.
- ^ a b “東久留米市指定文化財一覧”. 東久留米市. 2016年11月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 文化財資料集11 1988, p. 47.
- ^ a b c d e f g h i j k 文化財資料集11 1988, p. 48.
- ^ a b 文化財資料集11 1988, p. 49.
- ^ 新編武蔵風土記稿 南沢村.
- ^ a b c 文化財資料集13 1991, p. 48.
- ^ 多摩のあゆみ163 2016, p. 51.
- ^ a b c d 多摩らび & 2010-06, p. 28.
- ^ “無形民俗文化財”. 東久留米市. 2016年11月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “南沢氷川神社:市内兼務神社のご案内”. 南沢氷川神社. 2016年11月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 「南沢村 太神宮氷川稲荷合社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ122多磨郡ノ34、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763995/14。
- 江幡, 潤『清瀬・田無・保谷・東久留米・東村山史跡散歩』学生社、1979年。
- 東久留米市教育委員会社会教育部文化課『東久留米市文化財資料集 1 寺社編』東久留米市教育委員会、1973年。
- 東久留米市教育委員会社会教育部文化課『東久留米市文化財資料集 11 絵馬編』東久留米市教育委員会、1988年。
- 新谷尚紀 編『東久留米市文化財資料集 13 東久留米の年中行事』東久留米市教育委員会、1991年。
- “自然と歴史を楽しむ散歩道 東久留米を歩こう!”, 多摩ら・び (けやき出版) (62), (2010-06)
- 峰岸三喜藏「南多摩・北多摩の獅子舞」『多摩のあゆみ』第163号、たましん地域文化財団、2016年8月。
- 南沢氷川神社『南沢氷川神社参詣栞』南沢氷川神社。
- “氷川神社”. 東京都神社庁. 2020年6月22日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 南沢氷川神社(公式サイト)