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氷室長翁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
氷室 長翁
明治6年(1873年)11月20日大光院で追善供養の際、吉田貞画。
ペンネーム 椿園
誕生 松井某
天明4年閏1月23日1784年3月14日
尾張国愛知郡名古屋
死没 文久3年10月1日1863年11月11日
尾張国愛知郡名古屋
墓地 名古屋市常楽寺
職業 歌人
言語 中古日本語
ジャンル 和歌、日記
文学活動 桂園派
代表作 『芳野日記』『御蔭日記』
配偶者 氷室陳子
子供 氷室泰長(養子)、松井宝喬
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氷室 長翁(ひむろ ながとし、天明4年閏1月23日1784年3月14日) - 文久3年10月1日1863年11月11日))は江戸時代後期の尾張国津島牛頭天王社(津島神社)神主、桂園派歌人。名は豊長(とよなが / とよおさ)、通称は兵治、兵庫、伊織、将監[1]

生涯

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天明4年(1784年)閏1月23日尾張藩士松井弘喬の次男として生まれ、文化4年(1807年)津島牛頭天王社神主氷室種長の養子となり、文化6年(1809年)神職を継いだ[2]。社殿を銅葺から檜皮葺とし、廻廊を新築、神領に水路を開削し、天王川堤吉野桜を植樹した[3]香川景樹に和歌、飛鳥井家蹴鞠、豊原文秋にを学び[2]文政元年(1818年)景樹を自邸に招いた[1]

天保12年(1841年)養子泰長に神職を譲り[2]名古屋南伊勢町及び前津の別荘に隠居して長翁と号し、毎月歌会を催して尾張国一円に桂園派を広めた[1]

天保14年(1843年)京都で景樹が死去すると、遺児景周を世話し、弘化3年(1846年)春嵐山[2]、1846年弘化4年(1847年)秋須磨明石へ旅行に連れ、『須磨日記』を書かせた[1]嘉永元年(1848年)には妻と吉野に旅行して『芳野日記』を著し、嵐山・吉野の桜と高雄の楓を庭に植え、隅に一室を建てて三老居と号した[1]

常楽寺の氷室長翁の墓(津島市指定史跡)

文久3年(1863年)10月1日死去し、小沼常楽寺に葬られた[1]。法号は成徳院寿山豊長居士[1]。現在墓は津島市指定史跡[4]。津島邸椿園は舟戸町瑞泉寺に茶席として移築されている[5]

著書

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  • 『芳野日記』 - 嘉永元年(1848年)春妻と吉野に行った記録[1]
  • 『巨瀬の山ふみ』 - 自撰歌集[1]
  • 『いつかの日記』 - 天保12年(1841年)隠居後伊勢神宮に参詣した記録[2]
  • 『御蔭日記』 - 『江戸後期紀行文学全集』第1巻所収。
  • 『神事式』 - 文政13年(1830年)12月書。津島神社神事の記録[2]
  • 『水茎岡考』[2]

俳書『長寿楽』の編者氷室応汀を長翁とする説もある[2]

門人

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和歌

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  • 「さくらはな咲てちるまの暫時はうきよ也けりみよしのゝ山」 - 『芳野日記』に初出。大光院

に歌碑が建てられた[2]

親族

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豊明市桶峡弔古碑。文化6年(1809年)桶狭間の戦いで戦死した先祖松井宗信のため秦鼎と建立した[6]
  • 実父:松井小十郎弘喬 - 尾張藩[1]
  • 養父:氷室勘解由種長 - 津島牛頭天王社神主。文化5年(1808年)3月14日没[1]
  • 妻:陳子 - 種長娘。寛政10年(1798年)2月12日生、慶応3年(1867年)2月12日没。墓所は大光院。辞世は「心なく流るゝ水に行く春をちりて告けたる山吹の花」[1]
  • 長女[1]
  • 長男 - 夭折[1]
  • 次男:松井友之助 - 夭折[1]
  • 三男:松井小十郎宝喬[1]

子孫

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  1. 氷室泰長 - 熱田神宮大宮司千秋氏次男。長女婿。通称は将監、号は楽山。安政2年(1855年)10月16日没[1]
  2. 氷室為長 - 通称は式部、兵庫[2]明治32年(1899年)1月19日没[1]
  3. 氷室銑之助 - 昭和元年(1926年)3月24日没[1]。著書に『津島祭礼由縁書』[7]
  4. 氷室昭長 - 鎌倉八幡宮宮司[1]。子はなかった[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 西尾 1932.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 鈴木 1977.
  3. ^ 名古屋市 1934, pp. 138–139.
  4. ^ 氷室長翁の墓”. 津島市の歴史・文化財. 津島市. 2017年9月17日閲覧。
  5. ^ 瑞泉寺縁起”. 学校法人瑞泉寺学園津島幼稚園. 2017年9月17日閲覧。
  6. ^ 国指定史跡 桶狭間古戦場伝説地”. とよあけ桶狭間ガイドボランティア. 2017年9月17日閲覧。
  7. ^ NDLJP:767937

参考文献

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外部リンク

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