水沢澄夫
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水沢 澄夫(みずさわ すみお、1905年8月14日 - 1975年2月13日)は、日本の美術評論家。
米軍占領下、朝鮮戦争開始前後の激動期に日本美術会の書記長に選出される。
戦後、『芸術新潮』、『三彩』、『古美術』、『美術手帖』、『みづゑ』、日本美術会の機関誌『BBBB.』に評論、美術史論文などを発表した。
実践女子大学講師や町田市立郷土資料館初代館長を務めた[1]。
経歴
[編集]- 1931年から約1年、柳宗悦の民藝運動に関わる。その後美術雑誌『宝雲』の編集に携わる[1]。
- 1939年、土門拳を室生寺に案内する。同年、アトリヱ社「東洋美術文庫第24巻 鉄斎」刊行[2]。
- 1940年12月6日、土方定一らの「美術問題研究会」の結成に参加[3]。
- 1941年、「美術覚書」を昭森社から刊行[4]。
- 1949年から翌年までの激動期に日本美術会の書記長を務めた。
- 1951年、中谷泰を日本美術会に誘う[5]。
- 1958年、中国での『光琳展』開催に関わる[1]。
- 1959年、『エジプト美術展』の日本での開催に関わる[1]。
- 1973年から町田市立郷土資料館初代館長。
主な著書
[編集]- 『近代画の歩み』(美術出版社、1952年)
- 『エジプトの美術』(社会思想社、1963年)
- 『浄瑠璃寺』(中央公論美術出版、1964年)
- 『広隆寺』(中央公論美術出版、1965年)
- 『秋篠寺』(中央公論美術出版、1968年)
出典
[編集]- ^ a b c d 2000年度 1期 桑沢デザイン塾<特別講座>デザインの21世紀 8 いけばな作家 中川幸夫デザインアートの情報サイト[JDN]ジャパンデザインネット
- ^ 書誌情報国立国会図書館 NDL-OPAC
- ^ 美術評論家連盟結成経緯国際美術評論家連盟日本支部サイト
- ^ 書誌情報国立国会図書館 NDL-OPAC
- ^ 中谷泰・よわくてつよい画家 - 陰里鉄郎