水戸藩らーめん
水戸藩らーめん(みとはんらーめん)は、茨城県水戸市で販売されているご当地ラーメンのひとつ。
由来
[編集]江戸時代に水戸藩主の徳川光圀(水戸黄門)が日本で最初に食べたといわれるラーメンを、再現した料理である。光圀は、明から亡命してきた儒学者の朱舜水に学んでおり、外国の文化も積極的に取り入れていた。その中に中華麺も含まれていたと推測されることから、徳川光圀は日本で最初にラーメンを食べたと言われている。当時の記録には、小麦粉と藕粉(ぐうふん, レンコンの粉)で作った麺に色々な粉をかけた「うんどん」のような汁麺と記されている[1]。 1697年には、隠居所の西山荘で、来訪した僧侶や家臣にふるまったとの記録もある[2]。この説に基づいて新横浜ラーメン博物館では、水戸徳川家の葵の紋の入った椀に盛られた再現料理のレプリカを展示している[3]。
なお、朱舜水は徳川光圀に招かれる前に、長崎で柳河藩(現在の福岡県柳川市)の関係者から世話を受けていたことから、日本のラーメン発祥の地は柳川との説もある[1]。
また稲澤敏行の研究により、徳川光圀より200年以上早く、室町時代の1488年3月23日(長享2年2月1日)に、相国寺鹿苑院(現在の京都市上京区の同志社大学今出川キャンパス)で、臨済宗の僧侶で蔭涼軒主(蔭涼職)の亀泉集証と客人2人が、小麦粉とかん水を使った中華麺の「経帯麺」を食べていたことが分かった[4]。
再現
[編集]現在の水戸藩らーめんは1993年に発売された。バブル崩壊後の町おこしとして、水戸市の製麺業者が再現を図った。水戸藩の料理を研究していた大塚子之吉が、再現に協力している。
麺にレンコン粉を練りこむのと、「五辛」(ニラ、ラッキョウ、ネギ、ニンニク、ショウガ)という薬味を添えるのが特徴である。レンコン粉が加えられているために、麺は全体に茶色で黒い点がある。五辛は漢方医学に由来しており、薬膳の性格を持つ[1]。さらに、陰陽五行思想にもとづいて、叉焼など肉を具にする時には、肉と兄弟分とされるシイタケも添える[2]。スープの出汁や具に鶏や豚などの肉類を使うが、徳川光圀は当時はタブー視されていた肉食を嫌っておらず、生類憐れみの令も無視したため、考証として必ずしも不自然ではない[1]。
水戸藩らーめんは2009年4月時点では県内の9つの飲食店で提供されているほか、生麺を使った袋麺タイプのインスタントラーメンも土産用として販売されている。ただし、県内でもいまひとつ知名度は高くないとの評もある[3]。県外では、京都の東映太秦映画村と東京三鷹市の中華料理店でも提供されている[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d メタボ@納豆の国の人 (2007年6月25日). “日本のGOHAN:ルーツは黄門さま! 水戸藩ラーメン”. 47NEWS 2010年4月22日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b 外部リンク 水戸観光協会
- ^ a b c 北崎礼子 (2009年4月7日). “【茨城】「漫遊」するラーメン…水戸開藩記”. asahi.com 2010年4月22日閲覧。[リンク切れ]
- ^ * 室町時代にラーメン!?ラーメン史を覆す新事実を発見![リンク切れ] 2017年6月29日 新横浜ラーメン博物館 (2018年11月2日閲覧。)
- 室町時代に食された「経帯麺」について 2017年7月13日[リンク切れ] 新横浜ラーメン博物館 (2018年11月2日閲覧。)
- 国立国会図書館デジタルコレクション『大日本仏教全書 第135冊』1174~1175頁 「蔭涼軒日録」 長享二年二月朔日 (編著者・出版者:仏書刊行会 発行:1913年(大正2年)1月25日)(2018年11月2日閲覧。)
- 日本で初めてラーメンを食べたのは誰なのか 水戸黄門だったという従来説が覆った? 2017年7月24日 東洋経済オンライン (2018年11月2日閲覧。)
- 日本初のラーメン 室町時代? 僧侶の日記に「経帯麺」の記述 そば問屋・稲沢さん、歴史覆す新説 /神奈川[リンク切れ] 2017年8月3日 毎日新聞 (2018年11月2日閲覧。)
参考文献
[編集]- 小菅, 桂子『にっぽんラーメン物語』講談社〈講談社+α文庫〉、1998年。ISBN 978-4-06-256302-4。
関連項目
[編集]- スタミナラーメン - 水戸市周辺で食べられているもう一種の地域色のあるラーメン。