水府森家
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水府森家(すいふもりけ)は、徳川光圀に採り立てられた森尚謙に始まる、水戸藩の儒学者の家系である。「水府」は水戸を漢風に呼んだ異称である。その屋敷から厳塾とも呼ばれ、代々藩主の顧問として、医師、史官、侍講、秘書懸などを勤めた。家禄200石15人扶持中士(同じ200石ながら、家格として、後に水戸史館に入る立原家、藤田家に先んじる)。同藩における『大日本史』の編纂事業にその当初から携わり、その天皇一系の紀伝体の基調を形作り、公武合体を持論としつつも、藩内外の尊皇攘夷派と交流して、明治維新の起点を作った。
幕末において、保守的な立原家と革命的な藤田家が激しく対立する中、藩主側近の江戸秘書懸として藩内両派の仲裁に努め、天狗党の乱およびその後の事態を収拾し、戊辰戦争においても尊皇攘夷派との連携を図り、かろうじて水戸藩の命脈を保った。維新後も愛書家、史学者、芸術家として、その家風を引き継いでいる。
水府森家(厳塾)
[編集]- 宇多源氏:人皇(5代)宇多天皇
- 佐々木氏:敦賓親王(佐々木秀義)― 高綱(四郎) 〈墓所:高野山〉
- 松本宗佐 〈墓所:松本正行寺(信濃国)〉
- 松本助持 〈墓所:覚應寺(大阪)〉
- 森性壽(森壽庵) 〈墓所:紫野大徳寺(京都)〉
- 森尚謙(森厳塾):初代(1653年 - 1721年 享年69) 〈墓所:神崎寺(水戸)〉
- 森尚生:第2代(1676年 - 1730年 享年54) 〈墓所:神崎寺(水戸)〉
- 森尚賢(森杏庵):第3代(1644年 - 1721年 享年77) 〈墓所:神崎寺(水戸)〉
- 森尚克(森貞庵):第4代(1730年 - 1802年 享年72) 〈墓所:神崎寺(水戸)〉
- 森尚徳(森海庵、森勇庵):第5代(1758年 - 1814年 享年56) 〈墓所:鎌倉浄光明寺(鎌倉)〉
- 森尚源(森性、森庸軒、森一好、森万蔵):第6代(1785年 - 1827年 享年43) 〈墓所:神崎寺(水戸)〉
- 森蔚:(森太郎衛門)第7代(1814年 - 1868年 享年55) 〈墓所:神崎寺(水戸)〉
- 森鴻次郎:第8代(1861年 - 1928年 享年67) 〈墓所:養源寺(東京都文京区千駄木)〉
- 森威男:第9代(1897年 - 1961年 享年63) 〈墓所:養源寺(東京都文京区千駄木)〉
- 森日出人:第10代(1942年 - ) 東京都町田市真光寺
資料
[編集]- 水戸彰考館『水府系纂』第四八巻「貞享年中奉仕輩累系」
- 柴田光彦『翻刻博画堂漫録』序文「昭和53年3月刊 早稲田大学図書館紀要第19号抜刷」