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水口御殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

水口御殿(みなくちごてん)は、近江国甲賀郡水口(現在の滋賀県甲賀市水口町)に築かれた徳川将軍家御殿である。

概要

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水口御殿は徳川秀忠の五女和子(東福門院)が後水尾天皇に入内した元和6年(1620年)に宿泊施設として築かれたとされる。ただ、慶長8年(1603年)に大溝城を壊し水口に移したという史料や慶長9年(1604年)に御茶屋を築いたという史料もあることから、慶長9年頃に建造し、元和6年に改修した可能性もある。秀忠が元和5年(1619年)、同9年(1623年)及び寛永3年(1626年)に、家光が元和9年と寛永3年に上洛の際に「水口御殿」で休憩・宿泊している。

御殿は水口宿の南方(現在の甲賀市あいみらい保育園の敷地)にあり、その遺構は確認できないが、戦前までは西側に土塁と堀があったという。江戸時代の絵図には多く「古御殿」としてその敷地が描かれる。寛永10年(1633年)頃に作成された「江州水口絵図」には周囲に水堀を巡らせた単郭方形で、東側に外枡形を構え、「御茶御屋敷ノ内五拾間二五拾三間」、「堀之広さ上五間」とその規模が描かれている。

御殿は寛永11年(1634年)に水口城が築かれた後、撤去された。跡地は加藤明友が入部するまで幕府の管理下に置かれていた。

参考文献

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甲賀市史編さん委員会編『甲賀市史 第8巻 甲賀市事典』(2016年12月12日発行)

座標: 北緯34度58分05秒 東経136度10分17秒 / 北緯34.968066度 東経136.171525度 / 34.968066; 136.171525