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水原義明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

水原 義明(みずはら よしあき 1908年 - 1945年10月31日[1])は、日本の元アマチュア野球選手。香川県出身。

来歴・人物

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高松中学(現・香川県立高松高等学校)卒業後の1927年早稲田大学に進むと、左投左打の巧打者として1927年秋に打率.356,1929年春に打率.469で、東京六大学野球初の2度の首位打者に輝いた[2]

後輩に対する面倒見が非常に良い事でも知られ、水原最大の功績として、第四高等学校金沢大学の前身)に入学が決まりかけていた三原脩(水原とは高校の3年後輩に当たる)を上野駅で待ち伏せにして、早大野球部にスカウトした事が挙げられる[3]。また近藤昭仁も水原(の遺族)から学資の面倒を見てもらっていた[4]

早大卒業後応召され、中国で終戦を迎えた。しかし自身はその後も国共内戦に携わり、1945年10月31日に中国・上海南京郊外で戦死した[1]。享年38。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている[5]

脚注

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