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水内喜作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

水内 喜作(みずうち きさく、生年不明 - 1919年大正8年)[1])は、日本裁判官弁護士[2][3]富山弁護士会会長[4]。族籍は岡山県平民[5]

人物

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岡山県出身。1890年明治法律学校(現・明治大学)を卒業[2]1893年、弁護士名簿に登録する[5]判事に任じ、洲本区判事に補せられる[6]高松地方裁判所判事に補せられ十級棒を下賜される[7]。明治法律学校校友会富山支部幹事に当選する[8]

1904年5月、富山地方裁判所判事を退職した水内は新聞に「自分儀今般富山地方裁判所判事ノ職ヲ辞シ弁護士ノ業務ニ従事致候 総曲輪六五番地正七位明法学士弁護士水内喜作」と開業案内を出した[9]

岡用水をめぐる訴訟[注 1]、葛原村の訴訟代理人となる[11]。住所は富山市総曲輪町[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 大沢野町教育センター「わたしたちの郷土 大沢野町細入村」によると「岡用水は、1863年につくられたといわれている。土部落を流れる土川の下流をせき止めて、北の方から南へ向かって流れている。土川には、宮腰用水のおち水が入っているので、その水利権の争いが近年まであった」という[10]

出典

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  1. ^ 『官報 1919年06月12日』官報 第2056号 278頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  2. ^ a b c 『明治大学校友会員名簿』117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  3. ^ 『改正日本弁護士名簿』135頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  4. ^ 『国民年鑑 大正7年』417頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  5. ^ a b 『官報 1893年07月03日』官報 第3002号 15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  6. ^ 『明治法学(10)』91頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  7. ^ 『明治法学(18)』114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  8. ^ 『明治法学(55)』97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  9. ^ 『明治の富山をさぐる 総曲輪を中心として』189頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  10. ^ 第98話 岡用水 富山市土”. ケーブルテレビ富山. 2024年2月22日閲覧。
  11. ^ 『大沢野町誌 上巻』426 - 427頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。

参考文献

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  • 大蔵省印刷局編『官報 1893年07月03日』日本マイクロ写真、1893年。
  • 『明治法学(10)』明治法学会、1900年。
  • 『明治法学(18)』明治法学会、1901年。
  • 『明治法学(55)』明治法学会、1903年。
  • 真船多吉編『改正日本弁護士名簿』日本弁護士協会、1908年。
  • 田島義方編『明治大学校友会員名簿』明治大学校友会、1908年。
  • 国民新聞社編『国民年鑑 大正7年』民友社出版部、1917年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1919年06月12日』日本マイクロ写真、1919年。
  • 大沢野町誌編纂委員会編『大沢野町誌 上巻』大沢野町、1958年。
  • 水間直二編『明治の富山をさぐる 総曲輪を中心として』水間直二、1979年。