毫摂寺 (宝塚市)
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毫摂寺 | |
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所在地 | 兵庫県宝塚市小浜5-5-12 |
位置 | 北緯34度48分24秒 東経135度21分52秒 / 北緯34.80667度 東経135.36444度 |
山号 | 出雲路山 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 明応年間(15世紀末) |
開基 | 善秀 |
別称 | 小浜御坊 |
法人番号 | 3140005018624 |
毫摂寺(ごうしょうじ)は、兵庫県宝塚市小浜にある浄土真宗本願寺派の寺院。小浜御坊とも称され、寺内町として発展した小浜の中心であった。山号は出雲路山。本尊は阿弥陀如来。
歴史
[編集]- 本願寺三世覚如に帰依した乗専が丹波国六人部(福知山市)の天台宗寺院を改宗して毫摂寺と称し、京都の今出川に移して覚如の末子・善入が住職となった。
- だが今出川の毫摂寺はその後戦乱で荒廃し、やがて越前国山本荘(現在の福井県鯖江市)の證誠寺に寄寓し、後に真宗出雲路派本山毫摂寺となる。
- 善入の末裔の善秀が明応年間(15世紀末)に小浜荘を開き、この地にも毫摂寺を建立した[1]。
- その後寺内町として発達した小浜は、交通の要衝で武将の往来も多く、豊臣秀吉が有馬湯治の際千利休を伴い毫摂寺に宿泊し、茶を点てたという。また、秀吉の養子・秀次も有馬湯治の際に毫摂寺に宿泊し、寺の次女亀姫を見初めて側室(小浜の局)としたが、秀次が失脚・切腹すると、妻子や他の側室とともに亀姫も三条河原で処刑され、毫摂寺も焼き打ちにあう。
- 江戸時代には小浜は宿場町として復興し、毫摂寺は八本松の名所として知られるようになった[2]。
- 明治に入り浄土真宗本願寺派に属することとなる。
本堂・伽藍
[編集]- 本堂は江戸時代末期の建立。
所在地・交通
[編集]脚注・参考文献
[編集]- 『市史研究紀要たからづか』(宝塚市教育委員会)
- 『広報たからづか』(宝塚市)