毛利重次
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毛利 重次(もうり しげつぐ、文禄3年(1594年) - 寛永17年10月21日(1640年12月4日)は、豊臣秀頼の家臣。江戸時代の旗本。父は毛利重政。母は大神親長の女。子に重長(重行)。妻は芦田(赤井)時直(直正の末弟)の娘。
幼名は虎丸。通称は兵橘。豊後日出で生まれる。慶長2年(1597年)、4歳で父重政が急死、嗣子幼少を理由に遺領の相続が認められなかった。母が他家に嫁いだこともあって、孤児となって諸国を流浪する。片桐且元の周旋で豊臣秀頼に召抱えられ、備中国小田郡の内300石を賜る。慶長19年(1614年)、且元に従い大坂城より退居。その後、且元の子孝利、為元に属して摂津茨木に住む。後、寛永17年(1640年)に将軍家光に召されて大番となるが、その年に没した。
参考文献
[編集]- 寛政重修諸家譜 巻第六百二十九