段昭儀 (北斉)
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昭儀段氏(しょうぎ だんし、生没年不詳)は、中国北斉の文宣帝高洋の昭儀(妾妻)。
東魏の段栄の娘として生まれた[1]。段韶の妹にあたる。明敏な美女と謳われた。
東魏時代の高洋と段氏の新婚の夜に、段韶の妻の元渠姨[2]は「鬧洞房」の風習にならって高洋に悪ふざけをした[3]。高洋は怒り、段韶に「お前の妻を殺したい」とまで言った。元渠姨は恐れて婁昭君(高洋の母で段韶の叔母)の家へ逃げ、二度と高洋に会わなかった。
550年(武定8年/天保元年)、高洋は北斉を建てた。この時、宗室の高徳正らは「漢人女性は正宮の資格を欠きます」と諫言し、高洋の正妻だった李祖娥でなく段氏を皇后に強く推した。一方、楊愔らは「漢・魏(北魏)の故事により、本妻を廃位してはなりません」と反論した。結局、李祖娥は皇后になったが、段氏は皇后とほとんど等しい待遇を受けた。
脚注
[編集]- ^ 段栄の1番目の妻は婁信相(文宣帝の母婁昭君の姉、段韶の母)、継妻は梁令春。正史で段昭儀の母に関して記載はない。
- ^ 『斉故左丞相平原王元妃墓志』
- ^ 伝統的な中原北方の婚礼風習の一つ。新婚の夜、賓客らは花婿と花嫁に(公然たる)淫猥な悪ふざけで様々にじゃれる。みだらな姿や猥談、その他あらゆる下品な行為が行われる。
伝記資料
[編集]- 『北斉書』后妃伝