歩兵第42連隊
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歩兵第42連隊 | |
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創設 | 1896年(明治29年)12月 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 広島 - 山口 |
編成地 | 広島市 |
通称号/略称 | 鯉5175 |
最終上級単位 | 第5師団 |
最終位置 | アラフラ海 アルー諸島 |
戦歴 | 北清事変 - 日露 - シベリア出兵 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第42連隊(ほへいだい42れんたい、歩兵第四十二聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。日清戦争後の1896年(明治29年)に広島で編成、編成後衛戍地を山口に移す。1898年(明治31年)3月24日軍旗授与。所属師団は第5師団。太平洋戦争時の通称号は「鯉5175」。
秋吉台で演習を行っていた。
沿革
[編集]第5師団に属し、北清事変・日露戦争・シベリア出兵に参戦する。
1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発すると、所属の第5師団は7月27日に支那駐屯軍隷下となり華北に出動、チャハル作戦・太原攻略戦に参戦し、更に華南に転じ広東攻略戦では広州の南の虎門に上陸し占領した。1940年(昭和15年)9月には北部仏印進駐、同年11月仏印ハノイに進出する。その後内地に戻り佐世保での上陸訓練の後、昭和16年(1941年)11月に海南島に集結、12月8日の太平洋戦争開戦と同時にタイ領のバタニに上陸しマレー攻略戦に参戦した。続いてシンガポール攻略戦に参戦、第5師団の中核部隊として攻略に寄与した。
攻略後はマレー半島の警備に従事、1945年(昭和20年)アルー諸島に集結中に終戦を迎える。
主な出来事
[編集]歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 水野勝毅 | 1896.9.25 - 12.28 | |
2 | 南部辰丙 | 1896.12.28 - 1897.10.11 | 中佐 |
3 | 渡辺章 | 1897.10.11 - 1901.4.8 | |
4 | 粟屋幹 | 1901.4.8 - 1902.5.13 | |
5 | 本郷房太郎 | 1902.5.15 - 1904.9.17 | 中佐、1902.11.大佐 |
6 | 堀江不可止 | 1904.10. - | 中佐 |
7 | 曽我鏡之助 | 1906.2.14 - 1910.5.14 | 中佐、大佐昇進 |
8 | 栗田直八郎 | 1910.5.14 - 11.30 | |
9 | 三原三郎 | 1910.11.30 - 1915.10.4 | |
10 | 鵜飼素行 | 1915.10.4 - 1916.11.15 | |
11 | 松井兵三郎 | 1916.11.15 - | |
12 | 石川忠治 | 1918.6.1 - | |
13 | 永野為孝 | 1922.8.15 - 1923.8.6[2] | |
14 | 原田貞吉 | 1923.8.6 - 1925.5.1 | |
15 | 川瀬亨一 | 1925.5.11 - | |
16 | 嘉村達次郎 | 1928.3.8 - | |
17 | 山口正凞 | 1930.8.1 - | |
18 | 赤松寅七 | 1932.4.11 - | |
19 | 国崎登 | 1934.3.5 - | |
20 | 天谷直次郎 | 1935.3.15 - | |
21 | 大場四平 | 1937.8.2 - | |
22 | 坂田元一 | 1938.7.15 - | |
23 | 安藤忠雄 | 1940.12.1 - | |
24 | 西原修三 | 1942.4.1 - | |
末 | 吉川章 | 1944.3.1 - |
脚注
[編集]- ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、394頁。ISBN 4-309-22361-3。
- ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』
- 『山口県史 史料編 近代2』山口県、2010年。