武雄市立西川登小学校
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武雄市立西川登小学校 | |
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北緯33度08分13秒 東経129度58分17秒 / 北緯33.136861度 東経129.971278度座標: 北緯33度08分13秒 東経129度58分17秒 / 北緯33.136861度 東経129.971278度 | |
過去の名称 |
高等明治小学校・尋常明治小学校 西川登尋常高等小学校 西川登国民学校 西川登村立西川登小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 武雄市 |
併合学校 |
小田志小学校 神六小学校 |
校訓 |
ただしく やさしく たくましく |
設立年月日 | 1875年(明治8年)5月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141220600059 |
所在地 | 〒843-0232 |
佐賀県武雄市西川登町大字神六20584番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
武雄市立西川登小学校(たけおしりつ にしかわのぼりしょうがっこう)は、佐賀県武雄市西川登町大字神六にある市立の小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1875年(明治8年)創立。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは1954年(昭和29年)。2025年(令和7年)に創立150周年を迎える。
- 校訓
- 「ただしく・やさしく・たくましく」
- 校章
- 桜の花弁を背景にして、校名の頭文字である「西」を円形に図案化したもので、中央の「小」の文字を囲んでいる。
- 校区
- 「武雄市西川登地区全域」。中学校区は武雄市立川登中学校[1]。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1875年(明治8年)5月 - 小田志に「小田志小学校」、庭木に「神六小学校」が創立。
- 1883年(明治16年)8月 - 小田志小学校に高等科が設置される。
- 1886年(明治19年)[2]4月 - 以上の2校が統合され、弓野に「高等明治小学校」・「尋常明治小学校」が設置される。矢筈と小田志に分校を設置。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、小田志村と神六村が合併し、西川登村となる。
- 1899年(明治32年)4月 - 現在地に新校舎が完成し、移転を完了。矢筈と小田志分校を廃止。
- 1901年(明治34年)5月 - 「西川登尋常高等小学校」と改称。
- 1911年(明治44年)10月 - 2階建て校舎を平屋建てに改築。
- 1929年(昭和4年)11月 - 中央校舎を増築。
- 1939年(昭和14年)3月 - 保健室を新築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「西川登国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 1948年(昭和23年)
- 4月 - 矢筈分校を設置(再設置)。
- 11月 - 木造新校舎が完成。
- 1950年(昭和25年)11月 - 中学校の新校舎が完成し、併設を解消[3]。
- 1953年(昭和28年)12月 - 講堂が完成。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により、「武雄市立西川登小学校」(現校名)と改称。
- 1959年(昭和34年)3月 - 第一棟・第三棟の校舎を改築。
- 1961年(昭和36年)12月 - 完全給食を開始。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 矢筈分校が休校。
- 2010年(平成22年)
交通
[編集]- 最寄りのバス停留所
- 祐徳バス「西川登小学校前」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 佐賀県道・長崎県道102号塩田波佐見線「西川登小学校前」交差点
- 佐賀県道45号嬉野山内線
周辺
[編集]- 六角川
- 庭木神社
- かんころの家
- 西川登公民館
参考資料
[編集]- 「武雄市史 中巻」(武雄市史編纂委員会, 1973年(昭和48年)1月30日)p.620~
脚注
[編集]- ^ 武雄市立小中学校通学区域一覧 - 武雄市ウェブサイト
- ^ 1887年(明治20年)とも。
- ^ 1966年(昭和41年)4月に武雄市立西川登中学校と武雄市立東川登中学校の2校が統合され、武雄市立川登中学校になった。
- ^ 西川登小学校の校舎が完成しました -武雄市ウェブサイト
- ^ 西川登小学校矢筈分校の閉校式 - 武雄市ウェブサイト