武藤針五郎
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武藤 針五郎(むとう しんごろう、明治3年10月1日[1](1870年10月25日) - 大正15年(1926年)5月5日[2])は、台湾総督府官僚。桃園庁長、新竹庁長、台北市尹。
経歴
[編集]愛知県に岡本多丸の五男として生まれ、武藤寿蔵の養子となった[1]。1888年(明治21年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業[3]。1895年(明治28年)、大本営附として渡台し、以後は地方官を歴任した[4]。
桃園庁長、新竹庁長、台北市尹、台湾総督府土木局長などを務めた。
親族
[編集]- 岡本要八郎 - 弟。地質学者。
脚注
[編集]- ^ a b 人事興信録 1918.
- ^ 「武藤針五郎氏永眠」『台湾日日新報』、1926年5月6日。
- ^ 『明治大学校友会会員名簿』、明治大学校友会本部、1924年。
- ^ 台湾の官民 pp.64-65 1919.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 橋本白水『評論 台湾の官民』台湾案内社、1919年。