武藤一邦
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県大曲市(現:大仙市) |
生年月日 | 1959年1月20日(65歳) |
身長 体重 |
183 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1980年 ドラフト2位 |
初出場 | 1982年6月11日 |
最終出場 | 1986年10月10日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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武藤 一邦(むとう かずくに、1959年1月20日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]大曲市立大曲中学校卒業。秋田商高では2年生の時、四番打者、一塁手として1975年の夏の甲子園に出場。同期の山岡政志投手(日本石油に進む)を擁し、3回戦に進出するが磐城高に敗退した[2]。翌1976年にも中堅手として夏の甲子園に連続出場するが、2回戦で福家雅明、鈴木康友のいた天理高に延長12回サヨナラ負け[2]。
同年に南海のドラフト1位指名を受け、当時の野村克也兼任監督が秋田まで訪れたが、進学希望のため拒否し法政大(法政短大から法大進学)に進学。東京六大学野球リーグでは、3年生の1979年秋季リーグで打率.440を記録し首位打者となる。1980年秋季リーグでは、1年生エース和田護(日産自動車に進む)の好投もあって3年ぶりに優勝を飾る。直後の明治神宮野球大会では準決勝で日体大に敗退。同年の第9回日米大学野球選手権大会日本代表に選出されている。リーグ通算81試合出場、317打数86安打、打率.271、10本塁打、48打点。ベストナイン(外野手)2回。大学では1学年上に福原峰夫、谷真一、住友一哉投手ら、1学年下に控えの池田親興と川端順両投手、中葉伸二郎ら、2学年下に西田真二、木戸克彦捕手らがいた。
1980年のドラフト会議では2位で再び、南海を含む4球団から指名を受けて交渉権を得たロッテオリオンズに入団。長距離打者として期待され、1982年にイースタンリーグで首位打者となり、1983年には9試合に右翼手として先発出場。しかし故障もあり活躍の場は少なかった。1988年限りで現役を引退。
現在は千葉ロッテマリーンズの「マリーンズ・アカデミー」でテクニカルコーチとして少年野球の選手を指導する。母校の法政大学や成城大学のコーチを務めたほか、ロッテ時代の恩師・高畠康真を題材にした2008年放送のNHK土曜ドラマ『フルスイング』にて、主演の高橋克実に打撃指導を行なった。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1982 | ロッテ | 4 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1983 | 21 | 38 | 34 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 2 | 7 | 1 | .118 | .189 | .147 | .336 | |
1984 | 37 | 20 | 17 | 5 | 4 | 0 | 0 | 1 | 7 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 1 | .235 | .316 | .412 | .728 | |
1985 | 7 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1986 | 8 | 8 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .125 | .000 | .125 | |
通算:5年 | 77 | 73 | 65 | 9 | 8 | 1 | 0 | 1 | 12 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 1 | 2 | 16 | 2 | .123 | .197 | .185 | .382 |
記録
[編集]- 初出場:1982年6月15日 対南海ホークス前期11回戦(大阪球場)、得津高宏の代走
- 初先発出場:1983年7月7日 対日本ハムファイターズ13回戦(石川県立野球場)、7番・右翼手
- 初安打:1983年7月9日 対阪急ブレーブス14回戦(川崎球場)
- 初本塁打:1984年8月21日 対近鉄バファローズ23回戦(藤井寺球場)、9回表に良川昌美から2ラン
背番号
[編集]- 22 (1981年 - 1988年)
脚注
[編集]- ^ http://www16.plala.or.jp/OTOKO_AND_RUN/pro-player.html
- ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 武藤一邦 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)