武田貞之助
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武田 貞之助(たけだ ていのすけ、慶応4年4月15日[1](1868年5月7日) - 昭和17年(1942年)3月11日[2])は、日本の衆議院議員(立憲国民党)、弁護士。
経歴
[編集]近江国伊香郡高時村(現在の滋賀県長浜市)出身[3]。1884年(明治17年)に滋賀県師範学校を卒業し、小学校教員を務めていたが、大阪に出て関西法律学校(現在の関西大学)に入学した[2]。1892年(明治25年)に卒業した後、弁護士試験に合格し、大阪に事務所を開いた[2]。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その後大阪商業学校校主・理事[2]、原田汽船株式会社監査役、虎屋信託株式会社監査役、福井商店監査役などを務めた[4]。
著書
[編集]- 『商事調停法論』(大同書院、1927年)
- 『立憲的忠君愛国の人(選挙粛正の栞)』(選挙道徳向上会、1935年)
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
- 大日本頌徳会編纂部『遺徳顕彰録 第四輯』大日本頌徳会、1944年。