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武田繁太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年大正8年)8月20日 - 1986年昭和61年)6月8日)は、日本の小説家兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学独文科卒。

経歴

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早稲田大学在学中に同人誌「炬火」に参加。

芥川賞候補に4回推されるが、いずれも受賞を逸した。

  • 第25回芥川賞(昭和26年/1951年上期)「風潮」(「文學者」1951年5月号)
  • 第26回芥川賞(昭和26年/1951年下期)「暗い谷間」(「早稲田文學」1951年11月号)
  • 第27回芥川賞(昭和27年/1952年上期)「朝来川」(「文學者」1952年2月号)
  • 第28回芥川賞(昭和27年/1952年下期)「生野銀山」(「群像」1952年12月号)

代表作

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1960年作の「自由ヶ丘夫人」(光文社)はベストセラーとなり、1960年8月に映画化(東宝、監督佐伯幸三。出演:新珠三千代池部良淡路恵子安西郷子加東大介浜美枝有島一郎杉葉子)されて、自由が丘の高級住宅街としてのイメージアップにつながった。また全国に「〜丘」という地名が出来るきっかけともなった。この他に「芦屋夫人」(1959年)、「銀座夫人」(1962年)がある。これも高級住宅地あるいは著名地+夫人という呼称の始まりとなった。

1951年、被差別部落問題をえがいた「風潮」で文學者賞を受賞。1952年生野の変に取材した「生野銀山」が話題となった。1959年芦屋マダムの生態をえがいた「芦屋夫人」がわいせつ文書として発禁処分をうけた。

出典

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