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武田晴親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
武田晴親
時代 江戸時代中期
生誕 不明
死没 宝暦10年6月10日1770年7月22日
改名 晴親→晴方
官位 正六位下・主殿助・院蔵人
幕府 江戸幕府
主君 中御門天皇桜町天皇
氏族 清和源氏義光武田氏望月氏
父母 父:不明、母:中御門院大御乳人
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武田 晴親(たけだ はるちか)は、江戸時代中期の武士晴方とも。

概要

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武田信玄の弟の望月信繁の末裔とされる。

享保14年(1729年)5月1日には非蔵人に任じられている。同16年(1732年)12月25日には名前を晴親から晴方へと改めている。同20年(1735年)3月18日には正六位下・主殿助・院蔵人に叙任されている。元文2年(1737年)5月10日には致仕した[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 三上景文『地下家伝 第1-7 (日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)