磯部正春
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(武田恭作から転送)
磯部 正春(いそべ まさはる、元治元年3月8日[1](1864年4月13日) - 昭和3年(1928年)10月12日[1])は、日本の農商務官僚。錦鶏間祗候。旧名は百輔[2]。
経歴
[編集]山口県出身[2]。1890年(明治23年)、東京帝国大学法科大学を卒業[2]。農商務試補、法制局試補、鉄道庁事務官、農商務省特許局審判官、農商務省参事官、同書記官、特許局長、農商務省鉱山局長を歴任した[1]。1917年(大正6年)3月に退官し、同年6月21日に錦鶏間祗候となった[1][3]。
その後、産業組合中央金庫監事を務めた。
家族
[編集]- 父・磯部省三 ‐ 毛利藩士。[4]
- 弟・武田恭作 (1867-1945) ‐ 大日本鉱業社長。東京帝国大学工科大学採鉱冶金科卒の工学博士で、藤田組を経て1904年に独立。妻は藤田伝三郎の姪。娘婿に浅野良三(浅野総一郎二男)、太田新吉などがいる。[5][6]
- 娘婿・松井石根 ‐ 長女の夫。[4]
- 娘婿・岡俊二 ‐ 二女の夫。[4]
栄典
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 「故従三位勲三等磯辺正春勲章加授ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113044300