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武烈王陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
慶州 武烈王陵
경주 무열왕릉
(Tomb of King Muyeol, Gyeongju)
大韓民国指定史跡第20号
(1963年1月21日指定)
種類遺跡墳丘墓円墳
武烈王陵 무열왕릉の位置(大韓民国内)
武烈王陵 무열왕릉
武烈王陵
무열왕릉
武烈王陵
무열왕릉 (大韓民国)
所在地大韓民国の旗 韓国
慶尚北道 慶州市西岳洞842
座標北緯35度49分30秒 東経129度11分16秒 / 北緯35.82500度 東経129.18778度 / 35.82500; 129.18778座標: 北緯35度49分30秒 東経129度11分16秒 / 北緯35.82500度 東経129.18778度 / 35.82500; 129.18778
面積28,487m2 (14,169m2[1])
建設三国時代(661年頃)
建設目的武烈王陵墓
管理者慶州市
所有者慶州市ほか
ウェブサイト국가문화유산포털

武烈王陵(ぶれつおうりょう、ハングル무열왕릉〈ムヨルワンヌン〉、太宗武烈王陵ハングル태종무열왕릉〈テジョンムヨルワンヌン〉)は、韓国慶尚北道慶州市西岳洞(ハングル서악동〈ソアクトン〉)にある新羅第29代王、太宗武烈王ハングル태종무열왕〈テジョンムヨルワン〉)の陵墓である。慶州武烈王陵(ハングル: 경주 무열왕릉)として大韓民国指定史跡第20号に指定されている[2]

概要

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仙桃山(ハングル선두산〈ソンドサン〉)の東麓にある4基の大きな墳丘墓西岳洞古墳群朝鮮語版)に続く5基目の主たる墳丘として最も低い位置にある[1][3]。高さ8.73メートル[1](10.9m[4]、約11m[5])直径36.31メートル(約37m[4]、約33m[5])、周囲114メートル[6](約104m[5])の円墳であり、陵墓の周りを自然石で囲み固めたとされる[5][7]。発掘調査はなされていないが、内部の構造形態は横穴式石室[8]、あるいは最後の積石木槨墳朝鮮語版の王陵とも考えられる[9][10]。前部には供物石としての石床が備えられている[5]

歴史

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陵域内には、大韓民国国宝第25号に指定された太宗武烈王陵碑ハングル태종무열왕릉비〈テジョンムヨルワンヌンビ〉)の亀趺(きふ)と螭首(ちしゅ)が残存し、螭首に「太宗武烈大王之碑」とあることから[4]新羅の陵のなかで唯一、埋葬された王の明確に認められる王陵である[11]

武烈王ハングル무열왕〈ムヨルワン〉、在位654-661年)は、三国統一を推し進めた新羅の第29代王であり、本名は春秋(キム・チョンチュ)。太宗武烈王8年(661年)6月に死去し、王の諡号(しごう)を武烈[12]廟号(びょうごう)は太宗(テジョン)となる[2][13]

1963年1月21日、新羅武烈王陵(ハングル신라무열왕릉)として大韓民国指定史跡第20号に指定され、2011年7月28日より現在の指定名称である慶州武烈王陵(ハングル경주 무열왕릉)に変更された。1972-1973年に王陵の周辺が整備されている[2]

脚注

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  1. ^ a b c 사적 제 20호 신라 무열왕릉(新羅 武烈王陵)”. 신라문화유산연구원 (2021年). 2023年2月18日閲覧。
  2. ^ a b c 경주 무열왕릉(慶州 武烈王陵)”. 국가문화유산포털. 문화재청. 2023年2月16日閲覧。
  3. ^ 東、田中 (1988)、110・122頁
  4. ^ a b c 東、田中 (1988)、122頁
  5. ^ a b c d e 山本 (1978)、5頁
  6. ^ 慶州 武烈王陵、太宗武烈王陵碑(경주 무열왕릉, 태종무열왕릉비)”. Korea Trip Tips. 韓国観光公社. 2023年2月16日閲覧。
  7. ^ 東、田中 (1988)、134頁
  8. ^ 東 (1993)、85頁
  9. ^ 武井 (2003)、38・44頁
  10. ^ 東、田中 (1988)、134-135頁
  11. ^ 藤井 (1999)、35頁
  12. ^ 『三国史記』5 新羅本記 太宗武烈王”. 専修大学. 2023年2月16日閲覧。
  13. ^ 武烈王”. コトバンク. 世界大百科事典 第2版. 2023年2月16日閲覧。

参考文献

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  • 山本智教「韓国古美術巡礼」(PDF)『密教文化』第124号、密教研究会、1978年12月15日、1-30頁、doi:10.11168/jeb1947.1978.124_1ISSN 0286-98372023年2月15日閲覧 
  • 東潮、田中俊明『韓国の古代遺跡 1 新羅篇(慶州)』森浩一(監修)、中央公論社、1988年。ISBN 4-12-001690-0 
  • 東潮「朝鮮三国時代における横穴式石室墳の出現と展開」(PDF)『国立歴史民俗博物館研究報告』第47巻、国立歴史民俗博物館、1993年3月25日、1-154頁、doi:10.15024/00000597ISSN 0286-74002023年3月5日閲覧 
  • 藤井直正「亀趺をもつ石碑の系譜」(PDF)『大手前女子大学論集』第25号、大手前女子大学、1991年12月20日、29-64頁、ISSN 02859785NAID 1100000465232023年2月12日閲覧 
  • 武井一『慶州で2000年を歩く - 新羅から現代への旅』桐書房、2003年。ISBN 4-87647-603-9 

関連項目

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外部リンク

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