正親町季董
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正親町季董(おおぎまち すえただ、1874年(明治7年)6月19日[1] - 1945年(昭和20年)[2])は、日本の華族(男爵)。正親町公董の三男[3]。妻は裏松良光の長女・良子[3]。旧名・董次郎[3]。
経歴
[編集]1889年(明治22年)5月6日、正親町伯爵家分家を起こし、父の勲功により男爵を叙爵した[3][4]。東京帝国大学法科大学政治科卒業、司法大臣秘書官を務めた。華族廃止論を唱えた。のち山下汽船会社顧問[5]。1919年(大正8年)11月22日に隠居し、1920年(大正9年)2月3日に分家した[3]。家督は嗣子・季光が継承し、1919年12月20日に男爵を襲爵した[3][6]。
河上肇『小国寡民』によると、コーカサス地方の紀行文があるという。「コーカサス軍道の風光の雄大秀麗は、あまねく日本内地を周遊した筆者も、その比を求むるに苦しむ」。
脚注
[編集]- ^ 『華族名簿. 大正6年3月31日調』
- ^ 菊地昌典『ロシア革命と日本人』(筑摩書房、1973年)
- ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』上巻、275頁。
- ^ 『官報』第1753号、明治22年5月7日。
- ^ 華族廃止論者の正親町男が隠居 「万朝報」1919年(大正8年)10月8日
- ^ 『官報』第2216号、大正8年12月22日。
参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 正親町家(分家)初代 1889年 - 1919年 |
次代 正親町季光 |