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正福寺 (葛飾区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
正福寺

地図
所在地 東京都葛飾区東新小岩4-8-4
位置 北緯35度43分36秒 東経139度51分47秒 / 北緯35.72672度 東経139.86294度 / 35.72672; 139.86294座標: 北緯35度43分36秒 東経139度51分47秒 / 北緯35.72672度 東経139.86294度 / 35.72672; 139.86294
山号 青松山[1]
院号 金剛院[1]
宗旨 新義真言宗[1]
宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来[1]
創建年 奈良時代
開山 行基
中興年 正安3年(1301年[1]
中興 賢栄[1]
札所等 南葛八十八ヶ所霊場の23番札所、新四国四箇領八十八ヵ所霊場21・22番札所
文化財 五鈷種子鈴
正福寺惣門末起立録・正福寺本末帳
法人番号 3011805000395 ウィキデータを編集
正福寺 (葛飾区)の位置(東京都区部内)
正福寺 (葛飾区)
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正福寺(しょうふくじ)は、東京都葛飾区にある真言宗豊山派寺院。新四国四箇領八十八箇所霊場第22番札所[2]

概要

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奈良時代行基によって開山された。元々は新小岩駅南口周辺[注釈 1]にあり、本尊阿弥陀如来は行基の作という[3]

1180年治承4年)、石橋山の戦いで敗れた源頼朝が再決起して、当寺に陣を構えて援軍を待ったところ、続々と関東武士が馳せ参じたので、そのご利益に感謝して伽藍を修築したという[3]

その後の火災で廃寺化したが、1301年正安3年)になり、賢栄によって中興され、現在地に移転した[3]

文化財

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五鈷種子鈴 1口
葛飾区指定有形文化財[4]
正福寺惣門末起立録・正福寺本末帳 2冊
葛飾区指定有形文化財[4]
正福寺惣門末起立録:元文4年(1739年)[5]

交通アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 旧下小松村[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 新編武蔵風土記稿 上小松村.
  2. ^ 新四国四箇領八十八箇所霊場札所一覧”. 三郷市. 2021年12月23日閲覧。
  3. ^ a b c 入本英太郎、橋本直子 著『葛飾区史跡散歩 (東京史跡ガイド22)』学生社、1993年、50-52p
  4. ^ a b 葛飾区史 文化財一覧.
  5. ^ 文化財めぐり奥戸”. 葛飾区郷土と天文の博物館. 2020年8月3日閲覧。

参考文献

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関連項目

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