正源寺 (市川市)
表示
正源寺 | |
---|---|
所在地 | 千葉県市川市河原3-6 |
位置 | 北緯35度41分56.9秒 東経139度55分14.7秒 / 北緯35.699139度 東経139.920750度座標: 北緯35度41分56.9秒 東経139度55分14.7秒 / 北緯35.699139度 東経139.920750度 |
山号 | 十方山 |
院号 | 摂取院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 文安元年(1444年) |
開山 | 正源 |
札所等 | 行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所第7番札所 |
法人番号 | 2040005004164 |
歴史
[編集]1444年(文安元年)、正源によって開山された。正源は下総国葛飾郡八幡村(現・千葉県市原市八幡)の出身で、現在の東京都江戸川区の金蔵寺で出家した。その後、当寺の起源となる草庵を結んだ。その後、慶長年間(1596年 - 1615年)に源長によって中興された。源長は地元の行徳出身で観智国師慈昌の法統に属しており、観智国師は徳川家康に協力を要請し中興したものである[1][2]。
当寺には弁財天が安置されている。智証大師円珍の作と伝えられている。この弁財天は開山以来秘仏であり、もし開帳したら目が潰れるといわれており、「盲目弁天」の異名を持つ。秘仏であったが、江戸時代は多くの人々の信仰を集めたという[1][2]。
現在の本堂は、幕末期に再建された弁天堂である。開山以来何度も火災等の災難に遭い、その都度再建されたが安政の大地震で倒壊した。そして遂に本堂は再建されることなく、弁天堂を本堂にすることになった[2]。
交通アクセス
[編集]- 妙典駅より徒歩17分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宮崎長蔵、綿貫喜郎 著『行徳物語』市川新聞社、1977年