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正徳寺 (福島県会津坂下町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
正徳寺
所在地 福島県河沼郡会津坂下町大字青木字青木66番地
位置 北緯37度35分22.6秒 東経139度49分58.9秒 / 北緯37.589611度 東経139.833028度 / 37.589611; 139.833028座標: 北緯37度35分22.6秒 東経139度49分58.9秒 / 北緯37.589611度 東経139.833028度 / 37.589611; 139.833028
山号 本現山
宗旨 浄土宗
正式名 本現山 正徳寺
文化財 絹本著色十六善神像(県指定重要文化財)
岌州遺品(町指定重要文化財)
法人番号 8380005009000 ウィキデータを編集
正徳寺の位置(福島県内)
正徳寺
正徳寺
正徳寺 (福島県)
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正徳寺(しょうとくじ)は福島県河沼郡会津坂下町にある浄土宗の寺院[1]山号は本現山[1]

歴史

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創建年代は不明。室町時代に中興した。京都知恩寺30世・岌州は青木村出身で、正徳寺で剃髪得度して僧となったことから[2]、正徳寺には岌州所縁の品々が残されており、文化財指定を受けている。

会津三十三観音の青津観音堂に安置される聖観音は元々正徳寺の境内にあった観音堂に置かれていたが、慶長16年(1611年)の会津地震などで堂宇が倒壊したため隣村の浄泉寺に移されたという。このため、会津三十三観音を扱う資料においては青津観音として正徳寺の名前が出るものもある[3]

文化財

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  • 絹本著色十六善神像
釈迦如来、普賢菩薩、文殊菩薩の三尊と十八の善神を描いたもので室町時代の作と考えられている。岌州が永禄年間(1558年 - 1570年)の間に会津に帰国した際に京都から持ち帰ったものとされ、1966年(昭和41年)4月19日に福島県の重要文化財に指定された[4]
  • 岌州遺品
上記の画とともに正徳寺に贈られたもので、以下の4品と天正13年(1585年)に岌州が葦名氏の家臣であった金上盛備に送った書状。1992年(平成4年)12月10日に町の重要文化財に指定された[5]
  • 山越阿弥陀図
  • 翡翠画
  • 阿弥陀三尊来迎図織物
  • 獏の香炉

脚注

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  1. ^ a b 正徳寺”. 浄土宗寺院紹介Navi. 2020年3月18日閲覧。
  2. ^ 岌州”. Web版 新纂浄土宗大辞典 (2018年12月20日). 2020年3月18日閲覧。
  3. ^ 全国霊場大辞典(2000)、pp.400 - 402
  4. ^ 絹本著色十六善神像”. 会津坂下町 (2013年12月4日). 2020年3月18日閲覧。
  5. ^ 岌州遺品”. 会津坂下町 (2013年12月4日). 2020年3月18日閲覧。

参考文献

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  • 全国霊場大事典 編纂室 編『全国霊場大事典:全国霊場巡礼・巡拝案内』六月書房、2000年11月1日。ISBN 4-7952-3343-8