歌川芳輝
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歌川 芳輝(うたがわ よしてる、文化5年11月29日〈1809年1月14日〉 ‐ 明治24年〈1891年〉1月19日)とは、江戸時代末期の浮世絵師。
来歴
[編集]歌川国芳の門人。本姓は田中、名は芳三郎。歌川を称し一椿斎、含粋舎、芳輝と号す。江戸日本橋高砂町の米山源四郎の次男であったが、後に上野国(現群馬県)高崎市の旅籠屋田中家の養子になっている。当初文政6年(1823年)の頃、谷文晁の門人となり北年と号した。その後天保4年(1833年)頃に国芳の門下に入って絵を学ぶ。作画期は天保の頃とされ、主に幟絵や絵馬など肉筆浮世絵を描いた。高崎観音のなかの清水寺観音堂の回廊には芳輝の描いた絵馬額16面が飾られている。享年84。墓所は群馬県高崎市九蔵町の大雲寺、法名は流芳院永寿椿翁居士。門人に一蘭斎輝重、武居秋錦がいる。
作品
[編集]- 「市川九蔵の三莊太夫」 大判錦絵
- 「えびす大黒」 紙本着色 高崎市立中央図書館所蔵
- 「神宮皇后と武内宿禰図」 絹本着色、双幅 熊本県立美術館所蔵 ※「六十四翁 一椿斎芳輝」の落款、「芳輝画印」の白文方印あり(二幅いずれも同じ)。明治4年[1]
- 「衣通姫図」 絹本着色 大英博物館所蔵
- 「鍾馗図」 幟絵
- 「神宮皇后と武内宿禰」 絵馬 碓氷峠熊野神社所蔵
参考文献
[編集]- 白石一 「一椿斎芳輝」 『浮世絵界』第4巻第2号 浮世絵同好会、1939年 ※2 - 7頁
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
- 熊本県立美術館編 『今西コレクション名品展Ⅲ』 熊本県立美術館、1991年
脚注
[編集]- ^ 神宮皇后と武内宿禰図 」 - archive.today(2016年12月14日アーカイブ分)