歌川芳盛 (2代目)
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二代目 歌川芳盛(にだいめ うたがわ よしもり、安政元年(1864年)4月 ‐ 没年不明)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。
来歴
[編集]初代歌川芳盛の門人。本姓は正木、俗称福松。初名は盛政、または芳盛斎国晴。歌川の画姓を称し一光斎と号す。下谷車坂、後に浅草千束町二丁目に住む。慶応2年(1866年)初代芳盛の門に入り絵を学ひ、明治13年(1880年)2月に二代目芳盛を襲名した。作画期は明治20年代の頃で、浅草公園常盤座の看板絵も描いたと伝わる。
作品
[編集]- 「吾妻新橋金龍山真景及ヒ木造富士山縦覧総而浅草繁栄之全図」 大判錦絵3枚続 江戸東京博物館所蔵 ※明治20年
- 「伏見街地震夜話」 大判錦絵3枚続 国立劇場所蔵 ※明治24年10月、東京市村座『伏見街地震夜話』より。三代目歌川国貞との合作、「補助芳盛画」の落款
参考文献
[編集]- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※133頁