歌川芳丸 (2代目)
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二代目 歌川芳丸(にだいめ うたがわ よしまる、弘化元年1月5日〈1844年2月22日〉 ‐ 明治40年〈1907年〉5月19日)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。
来歴
[編集]歌川国芳及び三代目鳥居清満の門人。本姓は伊東、名は鶴吉。歌川の画姓を称し一円斎と号す。日本橋田所町の呉服商丸大で上絵を描いていた玉屋新七の長男。15歳の時、国芳の門に入り主に風景画を学び、国芳の没後は三代目清満の門人となって鳥居派の画法も学んだ。作画期は文久から明治20年代にかけてで武者絵や役者絵、看板絵を得意として描く。享年64。墓所は江戸川区平井の妙光寺、法名は鶴寿院道仙信士。
作品
[編集]参考文献
[編集]- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※132頁