歌川国安
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歌川国安
性別 | 男性 |
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国籍 | 日本 |
母語表記 | 歌川国安 |
読み仮名 | うたがわ くにやす |
生年月日 | 1794 |
出生地 | 日本 |
死亡年月日 | 1 8 1832 |
職業 | 画家、芸術家、浮世絵師、グラフィック・アーティスト |
師匠 | 歌川豊国 |
作者の著作権状態 | 著作権保護期間満了 |
歌川 国安(うたがわ くにやす、寛政6年〈1794年〉 - 天保3年7月6日〈1832年8月1日〉[1])とは、江戸時代後期の浮世絵師。俗称は安治郎[1]、一鳳斎と号す[1]。一時、西川安信と名乗ったとも[1]。
来歴
[編集]江戸生まれ[1]。初代歌川豊国の門人[1]。本所相生町、のちに深川扇橋に住む[1]。
式亭三馬『一対男時花歌川』の挿絵が早い時期の作品と目される[1]。作画期は文化から没年にかけてで、文化5年(1808年)の役者絵に「豊国門人安画」と落款していることから、このころ豊国に入門したといわれており、また当初は豊国と同居していたという。役者絵のほかに、美人画や浮絵、合巻の挿絵、団扇絵、肉筆画を描く[1]。享年39。
文政11年(1828年)建立の豊国先生瘞筆之碑によれば、門人に歌川安信、歌川安峰、歌川安清、歌川安重、歌川安常、歌川安春、歌川安秀がいる。国安、歌川国丸、歌川国直の3人は豊国門下の三羽烏といわれており、中でも国安がその第一人者であった。
作品
[編集]版本挿絵
[編集]- 『五人揃紋日大寄』 合巻 ※益亭三友作、文化8年(1811年)
- 『小柳縞阿娜帯止』 合巻 ※喜多川雪麿作、文政5年
- 『躾方浮世諺』 合巻 ※薫作、文政7年
- 『傾城水滸伝』 合巻 ※曲亭馬琴作、文政8年(1825年) - 天保4年(1833年)。第二編から第十二編まで国安が挿絵を担当
- 『春小袖門松模様』 合巻 ※山東京山作、文政8年刊行
- 『会席料理世界も吉原』 合巻 ※三舛(七代目市川團十郎)作(五柳亭徳升代作)、文政8年
- 『絵本魁草紙』 読本 ※洒落斎三馬作、文政8年
- 『浜真砂築地白浪』 合巻 ※三舛作、 文政9年
- 『面白妙須磨雪平』 合巻 ※東里山人作、文政10年
- 『四十八手最手鑑』 相撲本 ※烏亭作、文政11年
- 『喜怒哀楽堪忍袋』 合巻 ※小三馬作、文政12年
- 『三国妖狐殺生石』 合巻 ※五柳亭徳升作、文政13年(1830年)刊行
- 『漢楚賽擬選軍談』 合巻 ※曲亭馬琴作、文政14年刊行
- 『新編金瓶梅』 合巻 ※曲亭馬琴作、文政14年 - 弘化4年(1847年)刊行
- 『風俗金魚伝』 合巻 ※馬琴作、文政12年 - 天保3年
錦絵
[編集]- 「九十郎・関三十郎 玉屋新兵衛・尾上菊五郎 奥女中飛鳥・瀬川菊之丞」 大判3枚続 東京都立図書館所蔵 ※文政7年3月、江戸中村座『花曇艶街下駄傘』より
- 「尾上菊五郎の四谷怪談お岩」 大判錦絵3枚続 ※変り絵
- 「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 見立入雲龍公孫勝」 大判錦絵 東京国立博物館所蔵
- 「駱駝之図」 2枚続 ※文政7年版行、山東京山の文あり
- 「箱根温泉遊覧之図」 大判錦絵3枚続 ※文政4年
- 「日本橋魚市繁栄図」 大判錦絵3枚続 ※天保頃
- 「相州江ノ島弁天巌屋祭礼之図」 大判錦絵3枚続 ※天保頃
- 「浮絵亀戸天満宮之図」 横大判錦絵
- 「更衣」 大判錦絵
肉筆画
[編集]- 「立ち美人」 絹本着色 光記念館所蔵 ※「歌川國安画」の落款、「弌鳳齋」の朱文方印と「國安」の白文方印あり。那須ロイヤル美術館(小針コレクション)旧蔵