檜前部老刀自
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檜前部 老刀自(ひのくまべ の おいとじ、生没年不詳)は、奈良時代の女官。姓は檜前とも表記される[1]。上野国佐位郡の人・采女[1]。姓は無姓、のち君。のち、上毛野佐位朝臣。位階は従五位下。
出自
[編集]檜前部は宣化天皇の名代の部であり、東漢氏系列の檜前氏とは別の系譜である。『続日本紀』のは、宝亀2年3月に遠江国城飼郡の人で、檜前舎人部諸国の名前が見える[2]。天平感宝元年(749年)8月の調庸布(正倉院御物楷布屏風袋)墨書銘に、「佐位郡大領」として、「梔前部君賀味麻呂」[3]の名があり、縁者だと思われる[4]。
経歴
[編集]正倉院文書に登場する、佐味命婦と同一人とする説がある[5]。その伝によれば、天平19年12月(748年1月)に東大寺写経所は、彼女の宣により方軌4巻を内裏に請い[6]、同20年3月にも、その宣により陀羅尼集経1部12巻を内裏に請い[7]、天平勝宝3年(751年)正月にも、その宣により、法花玄賛第一巻を書写している[8]。
称徳朝の天平神護2年(767年1月)に昇叙され、翌年、上野佐位朝臣を賜姓。さらにその翌年の神護景雲2年(768年)には、上野国の国造に任命されている。この時、掌膳[1]。
光仁朝の宝亀(771年)正月、従五位下に任命される。以後の記録は存在しない。
官歴
[編集]『続日本紀』による
- 時期不詳:外従五位下。
- 天平神護2年12月4日(766年1月):外従五位上。
- 時期不詳:君]姓。
- 時期不詳:掌膳。
- 天平神護3年)(767年)3月6日:賜姓」「上野佐位朝臣」。
- 神護景雲2年(768年)6月、上野国造。
- 宝亀2年(771年)正月2日:従五位下
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『続日本紀』4 新日本古典文学大系15 岩波書店、1995年
- 『続日本紀』5 新日本古典文学大系16 岩波書店、1998年
- 宇治谷孟訳『続日本紀 (中)・(下)』講談社学術文庫、1992年・1995年
- 『日本古代人名辞典』3 - p828、竹内理三・山田英雄・平野邦雄編、吉川弘文館、1961年
- 『日本古代人名辞典』5 - p1452・1455、竹内理三・山田英雄・平野邦雄編、吉川弘文館、1966年
- 『日本古代氏族事典』【新装版】佐伯有清:編387 - 388頁、雄山閣、2015年