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雑太城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
檀風城から転送)
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雑太城
新潟県
地図
別名 檀風城、佐和田城、新川城
城郭構造 平山城
天守構造 天文年間(1532年〜1555年)
築城主 本間氏
主な城主 本間氏、直江氏(上杉氏)
遺構 土塁、石垣
指定文化財 史跡等未指定[1]
埋蔵文化財
包蔵地番号
佐渡市No.819(檀風城)[2]
再建造物 なし
位置 北緯37度58分31.6秒 東経138度21分38.0秒 / 北緯37.975444度 東経138.360556度 / 37.975444; 138.360556
地図
雑太城の位置(新潟県内)
雑太城
雑太城
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雑太城(さわだじょう)は、佐渡国雑太郡(現在の新潟県佐渡市佐和田大字竹田字内新川)にあった日本の城平山城)。別名は檀風城新川城。中世に佐渡を支配した本間氏の居城であった。跡地は妙宣寺となっている。

概要

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新川の城山(50m)から山麓(比高5mほどの微高地)にかけて縄張りがされた平山城である。鎌倉時代から南北朝時代にかけて大佛氏の支配下にあったが、室町時代には守護代の本間氏が自立して戦国大名に成長した。同氏と越後の上杉氏は、謙信の時代には緩やかな従属関係を結んでいたが、次代の景勝は佐渡に侵攻して本間氏を排除した。

江戸時代に佐渡全域が幕府直轄領となると、本間氏や上杉氏が築いた建物は一国一城令で破却された[3]

遺構・復元施設

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  • 「檀風城址之碑」歌碑 - 日野資朝の「秋たけし 檀の梢吹く風に 雑太の里は 紅葉しにけり」の歌碑。
  • 本丸跡の石垣 - 石垣の前に「雑太城跡」説明版。二層の寺門が残る。
  • 土塁・空掘

周辺施設・関連資料ほか

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  • 妙宣寺の五重塔 - 新潟県唯一の重要文化財。
  • 新川城絵図 - 『新潟県中世城館等分布調査報告書』。
  • 下国府遺跡 - 檀風城の北東500mほどの位置で発掘された平安時代前期の遺跡。上国府(佐渡府内)に付随した施設。

交通

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脚注

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  1. ^ 「文化財(区分別)」佐渡市公式HP
  2. ^ 「遺跡等の一覧(真野地区)」佐渡市公式HP
  3. ^ 松平忠輝附家老であった大久保長安佐渡奉行も務めたが、檀風城、鶴子陣屋などを破却し(賀茂郡の河原田城は上杉時代に廃城した)、新たに築いた相川陣屋(佐渡奉行所)で政務を行なった。

関連項目

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