雑太城
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雑太城 (新潟県) | |
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別名 | 檀風城、佐和田城、新川城 |
城郭構造 | 平山城 |
天守構造 | 天文年間(1532年〜1555年) |
築城主 | 本間氏 |
主な城主 | 本間氏、直江氏(上杉氏) |
遺構 | 土塁、石垣 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 佐渡市No.819(檀風城)[2] |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯37度58分31.6秒 東経138度21分38.0秒 / 北緯37.975444度 東経138.360556度 |
地図 |
雑太城(さわだじょう)は、佐渡国雑太郡(現在の新潟県佐渡市佐和田大字竹田字内新川)にあった日本の城(平山城)。別名は檀風城・新川城。中世に佐渡を支配した本間氏の居城であった。跡地は妙宣寺となっている。
概要
[編集]新川の城山(50m)から山麓(比高5mほどの微高地)にかけて縄張りがされた平山城である。鎌倉時代から南北朝時代にかけて大佛氏の支配下にあったが、室町時代には守護代の本間氏が自立して戦国大名に成長した。同氏と越後の上杉氏は、謙信の時代には緩やかな従属関係を結んでいたが、次代の景勝は佐渡に侵攻して本間氏を排除した。
江戸時代に佐渡全域が幕府直轄領となると、本間氏や上杉氏が築いた建物は一国一城令で破却された[3]。
遺構・復元施設
[編集]- 「檀風城址之碑」歌碑 - 日野資朝の「秋たけし 檀の梢吹く風に 雑太の里は 紅葉しにけり」の歌碑。
- 本丸跡の石垣 - 石垣の前に「雑太城跡」説明版。二層の寺門が残る。
- 土塁・空掘
周辺施設・関連資料ほか
[編集]- 妙宣寺の五重塔 - 新潟県唯一の重要文化財。
- 新川城絵図 - 『新潟県中世城館等分布調査報告書』。
- 下国府遺跡 - 檀風城の北東500mほどの位置で発掘された平安時代前期の遺跡。上国府(佐渡府内)に付随した施設。
交通
[編集]→詳細は「妙宣寺 (佐渡市) § 交通アクセス」を参照
脚注
[編集]- ^ 「文化財(区分別)」佐渡市公式HP
- ^ 「遺跡等の一覧(真野地区)」佐渡市公式HP
- ^ 松平忠輝の附家老であった大久保長安は佐渡奉行も務めたが、檀風城、鶴子陣屋などを破却し(賀茂郡の河原田城は上杉時代に廃城した)、新たに築いた相川陣屋(佐渡奉行所)で政務を行なった。