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橘 俊済(たちばな の としなり、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。名は俊斉・俊古とも記される。
右京大夫・橘海雄の曾孫、阿波守・橘高臣の子。官位は従四位上・大和守。
一条朝中期に越中守・大和守と受領を歴任し、位階は従四位上に至る。また、右大臣・藤原顕光の家司も務めた。
長保3年(1001年)に申文三通を奉っている[2]。
注記のないものは『系図纂要』による。
- ^ 『権記』長保3年4月5日条
- ^ 『北山抄』
- ^ a b 『権記』
- ^ a b c “橘氏”. 2024年1月7日閲覧。
- 『摂関期貴族社会の研究』(塙書房 、2005年、78p)
- 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年